信心は、だれのためのものでもない。すべて自分自身に生ききっていくための信仰であり、行動である。「幸福と平和を創る智慧」4-3/ The Wisdom for Creating Happiness and Peace 4-3
自身の福徳を増し、幸福の道を開いていくための信心なのである。
We practice this Buddhism for our own sake. The purpose of our faith and practice is to live true to ourselves.
日蓮が墨にそめ染め流したものは一体何か。
そう、たましいですね。
日蓮の「たましい」を染め流したから
信じていきなさいと言っています。
そして、一体何が正解かと言えば、
自分の中からその仏の命を出すことができれば、
それが正解となります。
他の誰でもなく、私が出せればいいわけです。
どんな人種でも、どこに住んでいても、千年後でも一万年後でも、持つ人すべてに例外なく当てはまる。
そこに、「信」以外の条件設定はありません。
これが、生粋の日蓮仏法の姿ですね。
それぞれが、あなたのままで、
自分自身に生ききっていくための信仰であり、
自分が幸せになり、他の人にもこの方途を伝えていきたいと願う。
日蓮がたましいは、最強の仏縁となってそんな命に反射し、
息を吹き返し、
その人にとって必要な働きを、その人の中から呼び起こす。
なぜ日蓮は、日蓮が書いたものだから信じなさいと言わず、
日蓮がたましいを染め流したから信じなさいと伝えたのか。
本因であるあなたの中から、
日蓮がたましいと同じ仏の命を出すことができれば、それが正解だからです。
後は己の実践あるのみ。
此の御本尊も只信心の二字にをさまれり(御書1244㌻)
──この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのである──
“This Gohonzon also is found only in the two characters for faith” 9 (WND-1, 832)
素晴らしき人生を!