今回は、アメリカの「リビング・ブディズム」に掲載された記事を皆さまにご紹介しようと思います。
何が掲載されたのかといいますと、
アメリカの仏教専門誌「トライシクル」での池田先生のインタビュー記事です。
これはなかなか斬新ですね。
なぜそう思うかといいますと、「リビングブディズム紙」はご存知の方も多いと思いますが、アメリカSGIが発行しています。日本でいうところの「大白蓮華」にあたるような冊子だと思います。
一方、仏教専門誌「トライシクル」というのは全くの別物です。
仏教専門誌「トライシクル」とは
仏教専門誌「トライシクル」 |
むしろ禅宗とか、そういったガッツリ、イメージ通りの仏教専門誌です。
なぜそんな雑誌が池田先生のインタビュー記事を掲載したのかというところ・・
実は以前このブログでご紹介していますが、クラーク・ストランドさんという方が大きく影響しています。
宗教ジャーナリスト:クラーク・ストランド
クラーク・ストランドさんは、僧侶資格を持った元禅宗の僧侶さんで、禅センターの教師にもなっていた方です。
この方が「トライシクル」の編集長になったのですが、彼が編集長時代は創価学会はもちろんの事、日蓮仏法についてもちゃんと取り上げることはなかったようです。
トライシクル誌を退社した後、執筆を始めるのですが、そこで鎌倉仏教を深く勉強していき、そして創価学会という存在を知るのです。
創価学会のどういったところに興味を持ち、着目するようになったのか、そんな詳しい内容はストランドさんへのインタビュー記事を取り上げた記事がありますので、ご興味がありましたらぜひこちらをお読みください。
インタビューの内容は?
まず、2008年の「トライシクル」に掲載されたこのインタビュー記事が、なぜ「リビングブディズム」の最新版に載っているのかはわかりませんが、
それにしてもこれを老若男女が読む「リビングブディズム」にのせているということ。
アメリカSGIのふり幅の凄さにビビります。笑
内容的にはだいぶザックリとはしていますが、「禅などがお好きなアメリカ人が読む雑誌」という、なかなかのアウェイなところで話すにはこのぐらいが丁度いいのかもしれません。
そもそも日蓮というワードさえアウェイな世界観があります。笑。
大白蓮華もそうですが、学会の読み物はありがたいことに、よりみんなが分かりやすく、読みやすくしてくださっていることもあり、そういったものに慣れているとつい分かった気になってしまいます。
ですから、普段甘々のキャラメルマキアートを飲んでいる私も、たまにはパンチの効いたエスプレッソを飲むように、気を引き締める上でもいいかもしれませんね。
どんなに難解な質問も、本質を射抜けば全く難しいものではないということ。先生の受け答え方は学ぶべきものが多いです。
折伏とは忍耐だといいますが、ムッとせず、冷静沈着に、丁寧に返しています。
ざっくりとしたインタビューですが、こんな先生のやり取りをみているだけで次のようなことー「自分の『信』はどこまでも強く、意見の異なる人にはどこまでも『誠実に』応対する」ーこの大切さがひしひしと伝わってくるのです。
ストランドさんは学会員ではありませんが、多くの学会関連のものに顔を出すようになっていきます。禅を死ぬ気でやっていた方ですから、初めから好意的に見てたわけではないと思います。
一言でいえば、「この先生の誠実さがあったればこそ」だったのかもしれませんね。
私たちが一番学ぶべきところはまさしくこの部分です。
少し長く、耳慣れない単語がいくつか出てきますが、たまにはこんなのも読んでみてください。
今回お借りした文献:
英語:
Faith in Revolution—An Interview With SGI President Ikeda In its Winter 2008 issue, Tricycle (Living Buddhism Oct 1 2019)
日本語訳:
Faith in Revolution—An Interview With SGI President Ikeda In its Winter 2008 issue, Tricycle (Living Buddhism Oct 1 2019)
日本語訳:
「人間革命の信仰」アメリカの仏教専門誌「トライシクル」での池田SGI会長へのインタビュー「東洋学術研究」第48巻第1号
※サブタイトルは当ブログが付けています。ご了承ください。
池田SGI会長へのインタビュー「人間革命の信仰」(Faith in Revolution)
(序文一部抜粋)
・・仏教に改宗した欧米人の中で、禅やヴィパッサナー(Vipassana/上座部系仏教)、ヴァジュラヤーナ(Vajrayana/タントラ仏教)などの瞑想を中心とした仏教徒とSGIメンバーとは、常に明確な一線を画してきた。瞑想中心の仏教徒は、SGIについてほとんど知らない。
・・Among Western convert Buddhists, there has always been a sharp division between members of SGI and meditation-oriented students of traditions like Zen, Vipassana and Vajrayana. Students of the meditation approaches tend to know little, if anything, of the SGI.
SGIの信仰とは何か? その教えは? そして、世界中の多様な文化圏に急速に広まった理由を、彼らはどう説明するのだろうか?
・・Among Western convert Buddhists, there has always been a sharp division between members of SGI and meditation-oriented students of traditions like Zen, Vipassana and Vajrayana. Students of the meditation approaches tend to know little, if anything, of the SGI.
SGIの信仰とは何か? その教えは? そして、世界中の多様な文化圏に急速に広まった理由を、彼らはどう説明するのだろうか?
So what is the practice of the SGI? What are its teachings, and how do they account for its rapid spread to so many different cultures around the world?
Q: 題目を唱える修行の役割とは何ですか?
クラーク・ストランド :
アメリカ人の多くは、日蓮仏法についてほとんど何も知りませんが、信者が法華経の題目である「南無妙法蓮華経」を唱えるということは知っています。本誌の読者に、この日蓮仏法の中心的修行である「唱題行」の役割を説明していただけますか?Clark Strand:
Most Americans know little about Nichiren Buddhism, except that its followers chant Nam-myoho-renge-kyo, the title of the Lotus Sutra. Could you help our readers to understand the role of this core practice in Nichiren Buddhism?
池田SGI会長:
日蓮は、唱題行とその働きについて、譬えを使って次のようにわかりやすく説明しています。「譬えば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」(「日蓮大聖人御書全集」五五七頁、以下、遺文の引用は同全集から)
SGI President Ikeda:
Nichiren Daishonin used the following analogy to explain the daimoku, or “Great Title,” and how it works: “When a caged bird sings, birds who are flying in the sky are thereby summoned and gather around, and when the birds flying in the sky gather around, the bird in the cage strives to get out. When with our mouths we chant the Mystic Law, our Buddha nature, being summoned, will invariably emerge” (“How Those Initially Aspiring to the Way Can Attain Buddhahood through the Lotus Sutra,” The Writings of Nichiren Daishonin, vol. 1, p. 887).
「南無妙法蓮華経」と唱えることは、自身およびあらゆる衆生の仏性の名を唱えることを意味します。それはまた、自他の仏性を信ずる「信の力」で、仏性の顕現を妨げる無明を打ち破り、自身の仏性を呼び顕すことを意味します。無明は、生命に具わる根源的な迷いであり、生死という人間の苦しみの根本原因です。ゆえに自分自身に例外なく具わっている仏性を呼び起こすならば、生死流転の迷いと苦悩にあえぐ生命を、永遠の真理と一体となって躍動する「常楽我浄の生命」へと転換していくことができるのです。
To chant Nam-myoho-renge-kyo is to call out the name of the Buddha nature within us and in all living beings. It is an act of faith in this universal Buddha nature, an act of breaking through the fundamental darkness of life—our inability to acknowledge our true enlightened nature. It is this fundamental darkness, or ignorance, that causes us to experience the cycles of birth and death as suffering. When we call forth and base ourselves on the magnificent enlightened life that exists within each of us without exception, however, even the most fundamental, inescapable sufferings of life and death need not be experienced as pain. Rather, they can be transformed into a life embodying the virtues of eternity, joy, true self and purity.
Q:他がやっている専修(ひたすら同じことをやること)の修行と同じ事ではないのか?
ストランド:
これは一見すると、道元の「只管打坐(しかんたざ)」や法然の「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」のような、日本の鎌倉時代の専修教義(シングル・プラクティス・ティーチング)の一つのように見えます。On its surface, this seems just like the other single-practice teachings that came out of Kamakura Japan— like Dogen’s practice of just sitting or Honen’s chanting of the Nembutsu.
池田:
あなたは、専修という観点から、日蓮の「唱題行」と、道元の「只管打坐」や法然の「称名念仏」などとの類似を指摘されました。専修という形の上の類似は、あるいは、鎌倉時代すなわち本格的な武家政権が始まるという「時」がもたらしたのかもしれません。三者とも、「争いの時代をどう超えるか」という時代の課題を、意識的にせよ、無意識的にせよ、担っていたのでしょう。
President Ikeda:
As you note, there are apparent similarities between these practices and Nichiren’s practice of chanting the title of the Lotus Sutra. These can, I believe, be attributed to a shared response, conscious or unconscious, to the particular conditions and challenges of the Kamakura era, a conflict-torn age when Japan was transitioning to a samurai-centered political system.
道元の「只管打坐」の座禅は自身の仏性を顕すことを目指した「自力」仏教の代表とされます。また、法然の「称名念仏」は、他土の仏の絶対的な力による救済を願う「他力」仏教の代表とされます。
The Zen practice of just sitting is representative of the kind of jiriki, or “self-power,” practice that makes no appeal to any kind of absolute truth or being beyond oneself. On the other hand, the chanting of Nembutsu, relying on and seeking salvation in Amida Buddha, is representative of the tariki, or “other-power,” approach.
一方、先に述べたように、日蓮の唱題行は「自身の中にあって自身を超える力」としての仏性を発見し顕現する道です。日蓮は、「法華経は自力でもなければ他力でもない」と言っています。ある意味では、法華経は、「自力」仏教と「他力」仏教の両方の面を具えているといえるのです。
Drawing upon the teachings of the Lotus Sutra, Nichiren declared that it was wiser to avoid leaning too much on either the self-power or the other-power approach. Nichiren’s practice of chanting Nammyoho-renge-kyo leads us to discover a power and wisdom that exists within us and at the same time transcends us. It embraces aspects of both the self- and other-power practices.
ストランド :
では、ある意味、法華経は、「自力」仏教・「他力」仏教両方の最高の形であると、会長はお考えですね。
In a sense, then, you seem to suggest that it represents the best of both worlds.
In a sense, then, you seem to suggest that it represents the best of both worlds.
池田 :
日蓮の教えは、非常に現実的であり、かつ誰もが挑戦できるものでした。したがって、民衆の生命に具わる大いなる力と智慧を開発し、民衆 が「大我(たいが)」を確立することによって争いの時代を乗り越えていくことを可能にしたのです。私は、この日蓮のとった方向性こそ、人類の未来を照らす思想的な力をもっていると確信しています。
President Ikeda:
Yes, and because Nichiren’s approach is both so accessible and so practical, it enables ordinary people to cultivate the vast sources of energy and wisdom they already possess within. It empowers us to live courageously and victoriously amid the terrible realities of this era of conflict and strife. As such I am confident that it can play a vital role in illuminating the path forward for humanity.
Q:自分の望むものを手に入れるために、煩悩を満たすために祈るというのは、仏教教義とは異なり矛盾はないのか?
ストランド
Nichiren Buddhists chant the daimoku to get what they want—a successful career, better health, a good marriage, even world peace. Nevertheless, from a purely traditional point of view, it would seem a violation of basic Buddhist doctrine to chant for the satisfaction of earthly desires rather than striving to overcome them. Isn’t this a contradiction?
池田
宗教の目的が、人間の幸福にあるとの考えに立てば、その疑問は矛盾なく収まるでしょう。大乗仏教の理想は、「自他ともの幸福」を実現することにあります。その理想を、どこまでも追求したのが法華経です。法華経は万人に仏性をみとめ、「万人成仏」すなわち、男性も女性も、学歴がある人もない人も、さらに人種・階層・出自や、過去の経歴、文化的・社会的背景などに一切とらわれず、あらゆる人が仏になれることを宣言しました。その理想を「個々人の決意として」生き抜いていくことに、私どもが法華経の題目を唱えていく一つの意味があります。President Ikeda:
If you think that the purpose of religion is happiness, there really is no contradiction. The ideal of Mahayana Buddhism is the realization of happiness for oneself and for others. Nowhere is this more completely set out than in the Lotus Sutra, which recognizes the Buddha nature in all people—women and men, those with formal education and those without. It declares that all people, without regard to their class, origin, personal, cultural or social background, can attain enlightenment. Our recitation of the title of the Lotus Sutra is a way of renewing our vow to live in accord with this ideal.
ストランド
それにしても、仏教の伝統は―大乗仏教の伝統でさえ―成仏するために出家を重要視してきました。法華経は、ある種の大衆化を目指しているのでしょうか?
Even so, the Buddhist tradition—even the Mahayana tradition—has tended to focus on a monastic approach to enlightenment. Do you see in the Lotus Sutra the suggestion of some kind of populist reform?
池田
法華経は、少数の選ばれた修行者が〝煩悩を克服しての安心〞を目指す出家仏教の在り方を必ずしも否定しません。それが、大乗仏教がいう「智慧の道」 (智慧波羅蜜 )に通ずる可能性をもっている限りにおいてです。しかし、煩悩を滅そうとする修行を自己目的化し、閉じられた安心を得て自己満足しても、それは一時的なものであり、決して仏と同じ真の満足を得たことにはならないとします。
このように「智慧の道」を、万人が実践できる 「以信代慧(いしんだいえ)」(信を以(もっ)て慧に代(か)う)の道として初めて開いたのが日蓮です。日蓮仏法の「信心」に励むことによって、日常生活において起こるすべてのことを縁として正しい「智慧」を起こしていけるのです。そして、このように煩悩の生活を営む衆生が現実に智慧を顕していくことに対して、日蓮は「煩悩即菩提」との名を用いました。
President Ikeda:
The Lotus Sutra does not deny the validity of monastic practice, of people dedicating themselves to their practice in a setting conducive to overcoming deluded impulses and attaining a peaceful state of mind. The problem arises when the practice comes to be seen as an end in itself, rather than a means of entering into the path of wisdom. Nichiren was the first to make the attainment of wisdom through faith a possibility for all people. By following his teachings, it becomes possible to use every occurrence in life— pleasant or painful—as an opportunity for the further development of our innate wisdom. When Nichiren declares that earthly desires lead to enlightenment, he is describing a process by which even ordinary people living in the midst of deluded impulses and earthly desires can manifest their highest wisdom.
Q:他の仏教徒がそれを理解するのは難しいのでは?
ストランド
今うかがったことについて、俗世の欲望のために唱題することで、どのように煩悩を菩提へと昇華していけるのか、日蓮仏法以外の仏教徒の多くは理解するのが難しいと思いますが。I still think a lot of non-Nichiren Buddhists will have a hard time understanding how chanting for earthly desires leads to enlightenment.
池田
難しいですが、大事な点なので、SGIメンバーも含めて、多くの仏教徒に理解していただきたいところです。日蓮仏法における唱題は、決して欲望充足のための呪術ではありません。真理を信じ、真理に一致していくための修行であり、日常生活の中で、煩悩に苦しみ、欲望充足に固執する自分、つまり「小我」を克服して、仏の智慧と慈悲を起こす「大我」へと変革していくための生命鍛錬であり、人間革命の道なのです。大切なのは、煩悩に振り回される小我中心の自己を克服し、「自他ともの幸福」を目指しつつ現実の苦悩を克服していく大我中心の生き方を確立していくことではないでしょうか。
President Ikeda:
Well, to begin with, I think it is important for all Buddhists—even members of the SGI—to understand that Nam-myoho-rengekyo is not some kind of magic formula to be recited to fulfill desires. It is a practice that expresses our faith in the truth and brings our lives into rhythm with that truth. It is a path for overcoming the so-called lesser self that is attached to desires and tormented by deluded impulses. It is a process of training and transforming our lives to be able to manifest our greater self, to bring forth our Buddha wisdom and the compassionate capacity to realize happiness for ourselves and other people.
President Ikeda:
Well, to begin with, I think it is important for all Buddhists—even members of the SGI—to understand that Nam-myoho-rengekyo is not some kind of magic formula to be recited to fulfill desires. It is a practice that expresses our faith in the truth and brings our lives into rhythm with that truth. It is a path for overcoming the so-called lesser self that is attached to desires and tormented by deluded impulses. It is a process of training and transforming our lives to be able to manifest our greater self, to bring forth our Buddha wisdom and the compassionate capacity to realize happiness for ourselves and other people.
草創期の創価学会は、「貧乏人と病人の集まり」と嘲笑されました。私の恩師である戸田第二代会長は、逆にそれを誇りとして、悠然と言われました。「貧乏人と病人を救うのが本当の宗教だ。本当の仏教だ。学会は庶民の味方である。不幸な人の味方なのだ。学会は、いかにののしられ、嘲笑されようとも、その人たちのために戦う。仏の目から見るならば、最高に崇高なことなのである」と。戦後の荒廃した日本を見つめた戸田会長は、これこそが最も崇高な行動として仏の眼に映ることを確信していました。
In its early days, the Soka Gakkai was despised and laughed at in Japanese society as a gathering of the sick and poor. Josei Toda, my life mentor, took this as a point of pride, however, and declared with confidence: “The true mission of religion is to bring relief to the sick and the poor. That is the purpose of Buddhism. The Soka Gakkai is the ally and friend of the common people, a friend to the unhappy. However much we may be looked down on, we will continue to fight for the sake of such people.” Faced with the devastation of postwar Japan, Toda was convinced that, in the eyes of the Buddha, this was the most noble action.
法華経は現世利益を否定しません。現世利益を期待して始めた人も、法華経の教えによって信仰を根幹とした生き方を確立していくことができます。そして、仏法に出あった時点で人生のどのような地点にいようが、またどのような人生の悩みや心配にとらわれていようが、信仰によって一歩一歩成長し、智慧の道を得ていけるのです。万人成仏を教える法華経を信じて、心を清浄にしていけば、その功徳として、日常生活のあらゆる言動が仏法の根本精神に合致し、正しい生き方となるとも説かれています。法華経と日蓮仏法において、 仏と凡夫の間に絶対的な隔たりはないのです。
Moreover, the Lotus Sutra doesn’t deny the value of worldly benefit. By allowing people to start to practice in expectation of such benefit, the teachings of the Lotus Sutra establish a way of life based on faith, and through this faith—developed step by step, starting from wherever we happen to find ourselves in life when we come to the Buddhist path, and with whatever natural human worries or concerns happen to have us in their grip at the time—we enter the path of wisdom. By believing in this sutra that teaches universal enlightenment and by purifying our mind, we are then able to bring our daily actions into harmony with the core spirit of Buddhism. In the Lotus Sutra and the teachings of Nichiren, there is no essential dichotomy between enlightenment and the lives of ordinary beings.
Q: 日蓮の行動について
ストランド
西洋の学者は、日蓮は、日本の国家指導者に対して本格的な警鐘的発言を行い、指導者たちがダルマ(法)に帰依し、法に則った社会を実現すべきであると主張した初めての仏教指導者であったと考えています。日本では伝統的に、 宗教は既存の権力構造に対して糾弾するのではな く、それを支えることが期待されていました。しかし日蓮は、仏教から観た社会のあるべき姿を命がけで訴えました。何が、日蓮をそこまで勇気ある行動に駆り立てたのでしょうか? Western scholars have observed that Nichiren was the first Buddhist leader to speak with a truly prophetic voice, insisting that Japanese leaders embrace the dharma and make it a social reality. What inspired Nichiren to take such a bold step, risking his life to assert a Buddhist vision of society in a country where religion had traditionally been expected to support the existing power structure rather than hold it to account?
池田
あなたのおっしゃる通り、多くの日本の宗教は伝統的に権力構造を支えるものとして取り込まれてきました。日蓮の権力との対峙を読み解くことは、日蓮を理解する上での鍵となるでしょう。日蓮を駆り立てたものは、「苦悩する民衆」を救わんとする慈愛と責任感です。「民衆への同苦」と、それゆえの「社会変革への熱意」こそ日蓮の行動の根幹にあるものでした。
President Ikeda:
You’re right that in Japan religion has traditionally been expected to support authority. Nichiren’s very different response to power holds a key to understanding his character. Nichiren felt compassion for the sufferings of the common people and a sense of responsibility for doing something about this. And this empathy and earnest commitment to social transformation are at the very core of all his actions.
President Ikeda:
You’re right that in Japan religion has traditionally been expected to support authority. Nichiren’s very different response to power holds a key to understanding his character. Nichiren felt compassion for the sufferings of the common people and a sense of responsibility for doing something about this. And this empathy and earnest commitment to social transformation are at the very core of all his actions.
十三世紀、鎌倉時代の日本の庶民は、打ち続く自然災害、食糧不足、疫病の流行、戦乱などによって生活基盤を深刻に脅かされていました。しかし、政治権力者も、それに結びついていた腐敗した宗教者も、自分たちの地位を守ることに汲 々(きゅうきゅう)とし、民衆を顧みることなく、社会には厭世観が漂い、民衆は無力化していった。日蓮は、そうした民衆の苦悩を見過ごすことができなかった。ゆえに、既存の政治的・軍事的権力を恐れず、思想・言論の闘争に立ち上がったのです。
Thirteenth-century Kamakura, Japan, was a terrible time to live. Life was constantly threatened by earthquakes, droughts and other natural disasters, as well as famine, pestilence and armed conflict. But neither the political nor the religious authorities of the day were able to see beyond their attachment to their own power and position to take effective action. The result was a pervasive sense of powerlessness and despair among the populace. Nichiren was by nature incapable of turning a blind eye to other people’s pain. So he spoke out, launching a battle of ideas that challenged the existing order.
ストランド
それは大変な危険を伴いますね。
That sounds very risky.
その通りです。日蓮は、その危険を理解していました。警世の書である「立正安国論」を一二六〇年に著した日蓮は、当時形成されつつあった武家を頂点とする日本の封建社会において、為政者自身の意識を変革することが必要と考え、鎌倉幕府の実質的な最高指導者・北条時頼に立正安国論を提出しました。
「立正安国」とは、正法によって国(社会)の平和と繁栄を築くことです。その後、たび重なる暗殺の試みや流罪などの徹底した迫害にもかかわらず、日蓮は権力側に媚ずに、権力者の責任を追及しました。
President Ikeda:
It was. But Nichiren understood the risks. In 1260, he presented his treatise “On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land,” to the highest de facto authority of Japan, the retired regent Hojo Tokiyori. He did this because he was convinced that in a feudal society, changing the awareness of those at the top of the pyramid of power was essential. In the years that followed, in spite of persecution and the constant threat of assassination or execution, Nichiren fiercely maintained his independence, insisting on holding those in power to account.
日蓮は、現世救済の思想を説いて、当時の民衆の中から支持者を増やしました。社会から虐げられた階層への日蓮の影響力は、支配構造の維持にとって、脅威と受けとめられました。
He gained many adherents among the common people at this time by teaching them that happiness in this world was indeed possible. But his influence among the downtrodden sectors of society was naturally perceived as a threat by those in power.
これは日蓮にとって明らかに予想されたことでした。日蓮自身も、社会に警鐘を鳴らすべきか否か、深く悩んだ時期があったと述懐しています。人間味のある、赤裸々な心情の吐露(とろ)であります。
Nichiren had clearly foreseen all of this, and his writings record with great frankness the doubts and questions that assailed him early in his career as he pondered whether or not he should speak out.
Nichiren had clearly foreseen all of this, and his writings record with great frankness the doubts and questions that assailed him early in his career as he pondered whether or not he should speak out.
日蓮はこう述べています。「人々の苦悩の根源を理解しているのは、日本において私ただ一人である。しかし、これを説いていけば、父母、兄弟、師匠から非難され、国主からの迫害が襲ってくるであろう― 『父母、兄弟、師匠に対して国主の 迫害があるだろう』との解釈もあります ― 一方、 もしこれを説かなければ、慈悲に欠けるであろう」(開目抄、趣意)と。
At one point he confessed to a disciple: “I, Nichiren, am the only person in all Japan who understands this. But if I utter so much as a word concerning it, then parents, brothers, and teachers will surely censure me, and the ruler of the nation will take steps against me. On the other hand, I am fully aware that if I do not speak out I will be lacking in compassion” (“The Opening of the Eyes,” WND-1, 239).
日蓮は、深い精神的逡巡を経て、釈尊が「わが 滅後に法華経を弘通せよ」と勧めた教えに思いをいたし、社会を変革し、万民を幸福にせんとの大誓願を立てたのです。
After a process of intense self-questioning, Nichiren recalled the words of the Lotus Sutra urging that this teaching be spread after the Buddha’s passing, and he made a great vow to transform society and enable all people to live in happiness.
創価学会の発展について
ストランド
そうした日蓮の精神遺産を、創価学会はどのように発展させてきたのでしょうか?How did the Soka Gakkai take Nichiren’s legacy forward?
池田
創価学会は、牧口常三郎、戸田城聖の両会長によって一九三〇年に創立されました。両会長とも日本の教育改革に献身する革新的な教育者でした。一九二八年に牧口会長が日蓮仏法に帰依し、後に戸田会長も入信し、二人は在家仏教者として、現実生活に苦悩する民衆の幸福のために尽くしたのです。
第二次世界大戦中、二人は、日本の軍国主義に抵抗し、戦争を進めるための国家神道による国民の精神支配に反対しました。そして、二人は逮捕・投獄され、牧口会長は栄養失調のため一九四四年に七三歳で獄死。出獄した戸田会長は、戦後の荒廃した日本で創価学会を再建しました。
President Ikeda:
President Ikeda:
The Soka Gakkai’s first leaders, Tsunesaburo Makiguchi and Josei Toda, were both innovative educators dedicated to the reform of educational practices in Japan. Mr. Makiguchi converted to Nichiren Buddhism in 1928, two years before he founded the Soka Gakkai, and Mr. Toda followed him in embracing faith soon after. Like Nichiren, they dedicated themselves to the happiness of ordinary people struggling to live their lives.
During World War II, however, they found themselves facing persecutions when they resisted the currents of Japanese militarist fascism and criticized the state’s use of Shinto to spiritually unite the Japanese people behind the war effort. They were arrested and imprisoned as a result. In 1944, Mr. Makiguchi died in prison from extreme malnutrition. He was 73 at the time of his death. Mr. Toda emerged from prison to rebuild the organization amid the devastation of defeat. ストランド
しかし、創価学会の広める「平和」と「万人に開かれた人間主義」というメッセージに反対したのは、軍部政権だけではなかったのですね?
But it wasn’t just the military government that opposed the Soka Gakkai’s message of peace and radical inclusion, correct?
池田
その通りです。日蓮仏法は、日蓮の時代から七百年近くたち、民衆から遊離し、また近代において極めて国家主義的な解釈をされたこともありました。しかし、牧口会長は、日蓮仏法を一人一人の生命の変革を可能とする「人間の幸福のための宗教」として「再発見」しました。そして、その理念を基に、社会の基盤である小学校教育の改革から始め、広く民衆の生活改革へ、さらに社会変革へと展開したのです。
President Ikeda:
That’s right. During the almost seven centuries since his death, Nichiren Buddhism had become desensitized to the interests and concerns of the common people. At times, it had even been interpreted as a highly nationalistic teaching. Mr. Makiguchi rediscovered Nichiren Buddhism as a religion dedicated to the happiness of ordinary people. He sought to promote such happiness, starting at the foundations of society, by reforming educational practices in Japan. With time, his goals expanded to include sharing the practice with people from all walks of life as a means of transforming the lives of ordinary people and thus society itself.
ストランド :
日蓮仏法では、他のほとんどの仏教宗派のように、軍部政府の要請で戦争推進のために一致協力するようなことはなかったのですね?
Didn’t Nichiren Buddhism also unite behind the war effort, as required by the government, like virtually all other schools of Japanese Buddhism?
池田 :
いえ、あの狂気の軍国主義の時代、牧口会長が所属していた日蓮正宗の宗門は権力の圧力に屈して、たとえば、日蓮の遺文から当局が問題視した部分を削除したり、教義を改変したりしました。対照的に、牧口会長は、最後まで日蓮仏法の魂、すなわち「民衆の幸福への人間的献身」を貫き、獄中で殉教しました。
President Ikeda:
During Japan’s years of militarist madness, the Nichiren Shoshu priesthood, with which Makiguchi was associated, gave in to pressure from the political authorities. For example, they agreed to modify or delete passages from the writings of Nichiren that were considered problematic by the authorities. In contrast, Mr. Makiguchi upheld the original intent of Nichiren Buddhism—a humanistic dedication to the happiness of ordinary people—and died in prison as a result.
ストランド :
戦後に発展した創価学会の現代的でグローバルな人間主義は、牧口会長の戦争に対する反対から「生まれた」ものとお考えですか?
Would you say that the modernist, globalreaching humanism of the postwar Soka Gakkai was born of Makiguchi’s resistance to the war?
池田 :
その通りでしょう。しかし、「啓発された」という表現のほうがよいかもしれません。なぜならば、人間主義の価値を守り通した牧口会長の闘争は私どもの永遠の模範だからです。
President Ikeda:
Yes. Though “inspired by” might be a better way of putting it, because President Makiguchi’s struggle to preserve humanistic values stands as an enduring example for us.
そして、その弟子であり、獄中闘争を乗り越えた戸田城聖第二代会長によって、仏教は現代に蘇生しました。戸田会長は獄中で、難解な法華経を身読し、「仏とは生命である」との仏教史を画する洞察を得ました。私は、この恩師の悟達によって、法華経のメッセージが異なる人種・宗教・文化的背景を超えて現代人に通用する普遍性を得て、人々に理解される哲理として、生き生きと現代に蘇生したと確信します。
It was his disciple, Josei Toda, who, having survived the prison experience, really defined what can be recognized as “modern Buddhism.” In prison, Mr. Toda read the difficult-to-grasp words of the Lotus Sutra with his very being, gaining the groundbreaking insight that the Buddha is nothing other than life itself. I am personally convinced that this is an insight of profound significance within the larger history of Buddhism. Through his awakening in prison, Mr. Toda developed a universal means of expressing the core message of the Lotus Sutra in a way that made it accessible to contemporary humanity, reviving it as something potently meaningful to daily life in the modern world, regardless of race, religion or cultural background.
また、戸田会長は、創価学会こそ日蓮仏法の真の継承者であるとの確信から、広宣流布への誓願を創価学会の魂として示しました。戸田会長は日本を離れることはありませんでしたが、世界の平和を念願していました。さらに、戸田会長は亡くなる半年前の一九五七年九月、核兵器を人類の生存の権利を脅かす絶対悪と断じた「原水爆禁止宣言」を発表しました。
Mr. Toda was convinced that the Soka Gakkai was heir to the mission to widely propagate Nichiren Buddhism for realizing a peaceful society, and he made this pledge central to the identity of the organization. Although he himself never traveled outside of Japan, he was deeply concerned about the peace of the world.
そして、その弟子であり、獄中闘争を乗り越えた戸田城聖第二代会長によって、仏教は現代に蘇生しました。戸田会長は獄中で、難解な法華経を身読し、「仏とは生命である」との仏教史を画する洞察を得ました。私は、この恩師の悟達によって、法華経のメッセージが異なる人種・宗教・文化的背景を超えて現代人に通用する普遍性を得て、人々に理解される哲理として、生き生きと現代に蘇生したと確信します。
It was his disciple, Josei Toda, who, having survived the prison experience, really defined what can be recognized as “modern Buddhism.” In prison, Mr. Toda read the difficult-to-grasp words of the Lotus Sutra with his very being, gaining the groundbreaking insight that the Buddha is nothing other than life itself. I am personally convinced that this is an insight of profound significance within the larger history of Buddhism. Through his awakening in prison, Mr. Toda developed a universal means of expressing the core message of the Lotus Sutra in a way that made it accessible to contemporary humanity, reviving it as something potently meaningful to daily life in the modern world, regardless of race, religion or cultural background.
また、戸田会長は、創価学会こそ日蓮仏法の真の継承者であるとの確信から、広宣流布への誓願を創価学会の魂として示しました。戸田会長は日本を離れることはありませんでしたが、世界の平和を念願していました。さらに、戸田会長は亡くなる半年前の一九五七年九月、核兵器を人類の生存の権利を脅かす絶対悪と断じた「原水爆禁止宣言」を発表しました。
Mr. Toda was convinced that the Soka Gakkai was heir to the mission to widely propagate Nichiren Buddhism for realizing a peaceful society, and he made this pledge central to the identity of the organization. Although he himself never traveled outside of Japan, he was deeply concerned about the peace of the world.
In September 1957, just six months before his death, he issued a historic call for the banning of nuclear weapons, which he denounced as an absolute evil threatening humanity’s right to exist.
このように法華経の生命尊厳と平和のメッセージを世界に発信したのです。こうした戸田会長の業績にも、日蓮仏法の普遍化への大きな貢献がみられます。
In this way, he sought to communicate the Lotus Sutra’s commitment to the sanctity of life and peace to the entire world. I am convinced that Mr. Toda’s efforts greatly contributed to the work of universalizing Nichiren Buddhism.
ストランド :
しかし、創価学会を世界に発展させたのは、戸田会長ではありません。それは、創価学会インタナショナルを設立した池田SGI会長の使命だったと思いますが、どうでしょうか?
But it wasn’t Mr. Toda who took the Soka Gakkai global. That has been your mission in the founding of the Soka Gakkai International, correct?
池田 :
私は、「先師、恩師の跡を受け継いだ第三代は、日蓮仏法における最良の精神的伝統の普遍化と永遠化に最も責任ある立場である」と自覚し、努力を重ねてきたつもりです。
President Ikeda:
As the organization’s third president, I have been deeply inspired by my predecessors. I have felt a powerful responsibility to universalize and ensure the long-term flourishing of the teachings.
このように法華経の生命尊厳と平和のメッセージを世界に発信したのです。こうした戸田会長の業績にも、日蓮仏法の普遍化への大きな貢献がみられます。
In this way, he sought to communicate the Lotus Sutra’s commitment to the sanctity of life and peace to the entire world. I am convinced that Mr. Toda’s efforts greatly contributed to the work of universalizing Nichiren Buddhism.
ストランド :
しかし、創価学会を世界に発展させたのは、戸田会長ではありません。それは、創価学会インタナショナルを設立した池田SGI会長の使命だったと思いますが、どうでしょうか?
But it wasn’t Mr. Toda who took the Soka Gakkai global. That has been your mission in the founding of the Soka Gakkai International, correct?
池田 :
私は、「先師、恩師の跡を受け継いだ第三代は、日蓮仏法における最良の精神的伝統の普遍化と永遠化に最も責任ある立場である」と自覚し、努力を重ねてきたつもりです。
President Ikeda:
As the organization’s third president, I have been deeply inspired by my predecessors. I have felt a powerful responsibility to universalize and ensure the long-term flourishing of the teachings.
恩師・戸田会長が一九五八年四月に亡くなる直前のことでした。私を枕元に呼び寄せて、「メキシコへ行った夢を見たよ。みんな待っていたよ。この仏法を求めてな」と言われました。
Just weeks before he died in April 1958, Mr. Toda called me to his side and told me that he had dreamed of going to Mexico, that there were people there waiting to learn about Buddhism.
私は、日蓮仏法の教義解釈において、教義の本質的・普遍的部分と、文化的・時代的制約を反映した部分とを区別しようとしてきました。そのために、世界の幅広い人々との対話を続け、創価の哲学を普遍化し、その表現をより洗練しようと努めてきました。そして、「すべての偉大な文化や宗教は、深い人間性の表れである」との信念から、異なる文明圏の思想、文学、芸術、科学、医学などの分野の知見や、多様な宗教・文化的背景をもつ人々の教訓などと仏法との親近性・共通性を、創価学会の同志をはじめとして、広く紹介してまいりました。
In terms of the teachings, I have tried to separate out those elements in the traditional interpretation of Nichiren Buddhism that are more reflective of Japanese cultural and historical contingencies than they are of the underlying message. To this end I have continued to engage in dialogue with a wide range of people around the world in order to refine and universalize the expression of my ideas. Because I am convinced that all cultures and religions are expressions of deep human truths, I have regularly referenced philosophical traditions other than Buddhism, bringing in the ideas and insights of literature, art, science and medicine, and sharing the inspiring words and insights of thinkers from a wide range of cultural and religious backgrounds with people, including the membership of the Soka Gakkai.
ストランド :
アメリカ人学者のリチャード・シーガー(Richard Seager )が、創価学会に関する自著の中で、日本とアメリカの創価大学のキャンパスで、ヴィクトル・ユゴーやウォルト・ホイットマンの像を見ることはできるが、伝統的な仏教を象徴する像などは何もないことに大変に驚いていました。
I remember that in his book on the Soka Gakkai, the American scholar Richard Seager noted with surprise that there were no traditional Buddhist images or icons visible on the grounds of Soka University’s Japanese or American campuses, though he found statues of Victor Hugo and Walt Whitman.
池田 :
イギリス人の哲学者ホワイトヘッド(Alfred North Whitehead/一八六一〜一九四七年)は「宗教の諸原理は永遠的なものではあろうが、これらの原理の表わし方は絶えず発展しなければならない」と述べています(ホワイトヘッド著作集第六巻『科学と近代世界』松籟社)。
President Ikeda:
President Ikeda:
The British philosopher Alfred North Whitehead (1861–1947) wrote about religion: “Its principles may be eternal, but the expression of those principles requires continual development.”
これは、ダイナミックな生命哲学である仏法においても然りであると思います。ゆえに、次の千年にわたる仏教の発展のために、文化間の対話が極めて重要です。仏の英知が説き明かした永遠の真理は不変ですが、その実践のあり方は、様々な歴史的・文化的な相違に出あい、磨かれ、発展していくべきです。
To me, this is especially true for Buddhism, which is a dynamic life philosophy that responds to people’s unchanging desire for peace and happiness across different historical and cultural settings. This is why dialogue between cultures is so crucial for the development of Buddhism in the next millennium. While staying true to its essence, Buddhism needs to encounter, learn and evolve.
その意味で、SGIがその重要な使命としている「再発見」「純化」「普遍化」の作業こそ、仏教の本質にかなうと確信します。
In this sense, I am convinced that the work of rediscovery, purification and universalization—taken on by the SGI as its core mission—is the very essence of Buddhism.
これは、ダイナミックな生命哲学である仏法においても然りであると思います。ゆえに、次の千年にわたる仏教の発展のために、文化間の対話が極めて重要です。仏の英知が説き明かした永遠の真理は不変ですが、その実践のあり方は、様々な歴史的・文化的な相違に出あい、磨かれ、発展していくべきです。
To me, this is especially true for Buddhism, which is a dynamic life philosophy that responds to people’s unchanging desire for peace and happiness across different historical and cultural settings. This is why dialogue between cultures is so crucial for the development of Buddhism in the next millennium. While staying true to its essence, Buddhism needs to encounter, learn and evolve.
その意味で、SGIがその重要な使命としている「再発見」「純化」「普遍化」の作業こそ、仏教の本質にかなうと確信します。
In this sense, I am convinced that the work of rediscovery, purification and universalization—taken on by the SGI as its core mission—is the very essence of Buddhism.
Q:「革命」が意味するところは?
ストランド :
池田会長は、法華経の教えを、「人間革命」とおっしゃるプロセスで言い換えられました。この「人間」とは、池田会長の哲学である仏法人間主義に裏づけられた表現であると思いますが、「革命」が意味するところは何ですか? SGIが実践する仏法の、より革命的部分とは何なのか、人間主義の宗教がどのようにそのような革命を可能にするのかを、ご説明ください。You have recast the teachings of the Lotus Sutra in terms of a process you call “human revolution.” The first part of that term gives expression to your philosophy of Buddhist humanism. But there’s also revolution. What are some of the more revolutionary aspects of Buddhism as taught by the SGI, and how does religious humanism spark that kind of revolution?
池田 :
仏法は本来的に革新的な教えですが、中でも「成仏」ほど革新的な哲学はないと私は思うのです。
President Ikeda:
President Ikeda:
Buddhism is inherently revolutionary. I can’t think of anything more radical than enlightenment.
それは、自らの生命に内在する本来の自分に還ることであると同時に、自分自身のダイナミックな変化を意味します。日蓮は「潮 のひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし」 (同一〇九一頁)と述べています。あらゆる障害を乗り越えて成仏していくよう励ましたのです
It is both a return to our most natural state and a dramatic change. To quote Nichiren: “There is definitely something extraordinary in the ebb and flow of the tide, the rising and setting of the moon, and the way in which summer, autumn, winter, and spring give way to each other. Something uncommon also occurs when an ordinary person attains Buddhahood” (“The Three Obstacles and Four Devils,” WND-1, 637).
創価学会における「人間革命」という表現は、私の師である戸田会長がよく使用され、それによって有名になりました。「成仏」を現代の言葉で表現したのです。
The expression “human revolution” was made famous by President Toda. It is a way of expressing the idea of enlightenment in contemporary language.
創価学会が提唱する「人間革命」の思想的基盤には、「人間自身が内面の精神変革を通して、真の生命の尊厳に目覚め、生命の軽視・不信の根本原因を克服することが、個人の幸福と社会の平和の基盤となる」という日蓮仏法の視座からの人類に対するメッセージがあります。日蓮仏法において、個人の幸福と社会の平和は深くつながっているのです。
In Nichiren Buddhism, enlightenment always impacts society. Through an inner, spiritual transformation, individuals can awaken to a genuine sense of the sanctity of life. This counters the disregard and mistrust for life that is at the root of what is wrong in contemporary society. This inner change is thus the basis for realizing both individual happiness and a peaceful society. Again, in Nichiren Buddhism the two are never separate.
戸田会長は、私たちにわかりやすく表現していました。「人間革命といっても、特別なことではない ― 今まで怠惰だった人間が勤勉になる。学問を 求めなかった人間が学問に励むようになる。貧しい人が裕福になっていく―そういう人生の方向転換をすることです。仏法の実践による意識転換です」と。
In terms of the individual, Mr. Toda explained it this way: “Human revolution isn’t something special or out of the ordinary. It could be as simple as someone who had been lazy and uninspired becoming enthused and committed. Or someone who hadn’t been interested in learning putting themselves into their studies. Or a person who has struggled with poverty becoming more stable and comfortable in their life. Human revolution is a change in a person’s basic orientation in life. And it is the transformation in awareness caused by Buddhist practice that makes that possible.”
ストランド
そうですね。しかし、それは、多くのアメリカ人が理解している仏性の定義とは違っていますが。
Yes. But that’s a very different conception of Buddhahood than most of us are used to.
池田
「成仏」は、日本・アジアの仏教界で死後の世界の問題であるかのように思われてきましたが、この「人間革命」という新しい概念を示したことによって、今世の人間完成の目標として明確化され、深化されたのです。
President Ikeda:
By using the language of “human revolution,” Mr. Toda transformed the idea of Buddhahood, which in Japan and other parts of Asia had come to be understood as pertaining principally to the afterlife, into the clear and profound goal of developing and bringing to fruition our own unique capacity and character while we are alive.
人間の一生とは、自分の能力と人格を自分らしく思う存分に開花させていくためにある、という信条で私は生きてきました。この「人間革命」の希望と「自己実現」の努力の連帯が地球規模で広がれば、やがて非暴力の「地球革命」を実現する王道となっていくでしょう。
I earnestly believe that when people who are making such efforts unite and realize grassroots solidarity on a world scale, we will see the path opened to the realization of a nonviolent global revolution.
Q:釈迦牟尼の最後の言葉をどう解釈しますか?
ストランド :
法華経の最後のところで、釈迦牟尼仏は「若し是の経典を受持せん者を見ば、当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」と宣言しています。この釈迦牟尼の言葉をどう解釈されますか?At the very end of the Lotus Sutra, Shakyamuni Buddha declares, “If you see a person who accepts and upholds this sutra, you should rise and greet him from afar, showing him the same respect you would a Buddha” ( The Lotus Sutra and Its Opening and Closing Sutras, p. 365). How do you interpret Shakyamuni’s words?
池田 :
この法華経の経文は、宗教共存の時代を生きる仏教徒にとって、明確な指針すなわち「人間への尊敬」こそ仏法の結論であるということを教えています。
President Ikeda:
I believe that these words offer a clear guide for Buddhists living in a religiously plural world.
President Ikeda:
I believe that these words offer a clear guide for Buddhists living in a religiously plural world.
日蓮は、「当起遠迎当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」の八文字には、釈尊から未来の法華経の実践者への「最上第一の相伝」が込められていると述べています。
Nichiren states that the eight Chinese characters that translate as “you should rise and greet him from afar, showing him the same respect you would a Buddha” express his first and highest transmission—the human qualities Shakyamuni hoped most to see in those who practiced the Lotus Sutra in the future after his passing. In other words, the most fundamental thing is our action and behavior as human beings, our ability to care for and treasure a single individual.
Nichiren states that the eight Chinese characters that translate as “you should rise and greet him from afar, showing him the same respect you would a Buddha” express his first and highest transmission—the human qualities Shakyamuni hoped most to see in those who practiced the Lotus Sutra in the future after his passing. In other words, the most fundamental thing is our action and behavior as human beings, our ability to care for and treasure a single individual.
法華経には、会う人ごとに「私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり慢 あなど ったりいたしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をして、必ず仏になることができるからです」と 唱え、人々を礼拝し続けた「不軽菩薩」が描かれ ています。
There is a chapter of the Lotus Sutra dedicated to Bodhisattva Never Disparaging, who reverentially saluted each person he encountered with the words: “I have profound reverence for you, I would never dare treat you with disparagement and arrogance. Why? Because you will all practice the bodhisattva way and will then be able to attain Buddhahood” ( The Lotus Sutra and Its Opening and Closing Sutras, p. 308).
この「人間への尊敬」を実践した「不軽菩薩」こそ、グローバルな時代を生きる現代仏教徒の模範の人間像ではないでしょうか。
This provides us with a concrete model for our interactions with others as modern Buddhists living in an age of international interconnection and global issues and concerns.
大乗仏教によれば、我々が生きている時代は、末法と呼ばれています。末法とは「争いの時代」であり、あらゆるものが争いへと流されていく時代です。その激流に抗する力は、「自他の仏性を信ずる」という強い信念です。そして、その信念の実践としての「人を敬う」行動以外にありません。
According to the teachings of Mahayana Buddhism, the period of time we are living in is called the Latter Day of the Law, an era of conflict and strife when all things tend toward conflict. The only way of resisting and countering the violent tides of such an age is with strong faith in the Buddha nature of oneself and of others. And the way that this is put into practice is through the respect we can offer others.
「希望」の源
法華経に説く「人を敬う」行動を、国際関係の現場では見ることができません。もちろん未来に対する希望はありますが……。
We don’t see much of that today in international relations, although there is always hope for the future.
池田 :
まさにその「希望」を、仏法は育むことができるのです。自他の仏性を信じ、仏に接するかのような究極的尊敬をもって他者に関わっていく ― この実践こそが、自他ともの仏性を呼び覚していくのです。
President Ikeda:
President Ikeda:
Indeed there is, and Buddhism can offer ways to cultivate just that kind of hope. To believe in both oneself and others, and to treat others as one would a Buddha—this is the practice that awakens and calls forth the Buddha nature that resides within us all.
日蓮が時に適った実践として提唱した「折伏」の意義もここにあります。相手の仏性を確信しているからこそ、慈悲を自身の心に湧き立たせ、自他ともに幸福になることを願いつつ、どこまでも相手を尊敬して誠実な対話を貫くのです。これこそが、一人から一人へと仏法を伝える、真の折伏精神です。信頼と友情に包まれた誠実な対話こそ、最も重要なのです。
It is here that the practice of straightforward propagation advocated by Nichiren has its true significance. It is precisely because we are able to muster faith in the Buddha nature of the other person that we can bring forth compassion from within ourselves and, desiring happiness for all, continue an earnest and respect-filled process of dialogue. This is the real spirit of propagation—of spreading Buddhism from one person to another. It first and foremost involves building trust and friendship through respectful, ongoing dialogue.
「人間に対する尊敬」という慈悲の心の発現は、すべての人間に等しく具わった能力であり、希望の源泉です。ここには宗教的信条の違いを超えた普遍の真理があると信じます。ゆえに、仏法者の人間に対する尊敬は、相手の宗教・信条を問いません。
All people are equally endowed with the inherent capacity to respect others, and this capacity is a source of inexhaustible hope because it embodies a universal truth that transcends the specifics of religious creeds. The respect offered by Buddhists to other people is offered in virtue of their humanity, without regard to their religious belief or creed.
日蓮は、それに関して、「鏡に向かって礼拝すると、その鏡の中の姿が自分に対して礼拝を返してくる」 (御義口伝、趣意)というわかりやすい譬えを述べています。
Nichiren described this with a poetic metaphor, saying that when we bow to a mirror, the figure in the mirror bows back reverentially at us.
これこそ、仏法の真の精神であり、大いなる「希望」の源なのです
This is the true spirit of Buddhism, and yes, it is reason for great hope.