仏法は「今」「ここの」、凡夫の「現実」のなかにしかない。
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ぼやっとしてちゃダメだよ。
ぼやっとして、「法華経」を、紙に書いた二十八品のことと思ってはならない。
仏法は「今」「ここの」、凡夫の「現実」のなかにしかないのです。この「今」の奥底を「久遠」といい、この奥底を開くことを成仏という。
それを教えたのが法華経なのです。
今です。
この今、広宣流布へ「戦おう!」という「一念」のなかにのみ
妙法蓮華経は生きている...
One must not vaguely think of the Lotus Sutra as simply a twenty-right-chapter text. Buddhism exists only in the here and now, in the reality of people's lives. The Lotus Sutra teaches that in the depths of the present, we find the remote past. Fully grasping this profound truth is called attaining Buddhahood.
It's the present that counts. Myoho-renge-kyo lives only in the spirit and determination to work for
kosen-rufu in the present...
引用元:法華経の智慧(5)/The wisdom of the lotus sutra vol Ⅴ
kosen-rufu in the present...
引用元:法華経の智慧(5)/The wisdom of the lotus sutra vol Ⅴ
みなさん、こんにちはー。
お元気でお過ごしでらっしゃいますか?
今、キーボードをひとしきり叩いた後、淹れたてのコーヒーを片手に、ぽーっとこの先生の指導を眺めていました。笑。
おっとと。ぼやっとしててはいけない。
ふとどこからか、ボーっと生きてんじゃねーよという愛らしい声が聞こえてきそうでしたので、再び机に向かいます。(意味が分からない方は、「チコちゃん」と検索ください。)
さあ、今回も素晴らしい内容ですね。もう本当に「今」の一念が大切です。
この「今」の奥底を「久遠」といい、この奥底を開くことを成仏という。
ちょっと難しいのですが、
確かに久遠というのは、「長さ」ではなくて「深さ」で表現した方が分かりやすいのかもしれないですね。
「長さ」だと思うと、今の自分の命に対して、はるか遠くにあるような感じがします。そんなイメージから想像する「久遠の仏」は、まず身近でもないし、自分でもない。だから自分の話にはなかなかなっていかない。
それに対し、
命の「深さ」だと思うと、今の自分の命に対して、その奥の話をしているので、今の命からズレたりすることはない。「久遠の仏」が自分の命の奥底にあるのではれば、仏の話は身近で、どこまでも自分の命の話になる。
ですから他の誰でもない、自分の、「この今」に、「この一念」に妙法はあらわれる。このように捉える方が自然なのです。
これは、法華経の核となっている部分でもありますね。
ぼやっとしててはいけません。笑。
「今」の自分の命の大切さ
さて、「今」の自分の命の大切さですが、御書には有名な一節がありますね。
過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ
未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ(231P)
If you want to understand the causes that existed in the past, look at the results as they are manifested in the present. And if you want to understand what results will be manifested in the future, look at the causes that exist in the present” (p. 279)
早口言葉ではありませんよ。笑。
大聖人が開目抄の中で引用されていた心地観経の一節ですね。
「過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果を見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい」
池田先生がこの御文を引用して大切な部分を伝えているものがありますので、そちらも皆さんと一緒に見て参りましょう。
この文の焦点は「現在」にあります。
The focus of this passage is the present.
・・・
「本因妙」とは、経文上は、久遠の過去における成仏の根本因を指しています。しかし、日蓮仏法では、釈尊が久遠の過去に仏となった本因たる妙法そのものを、現在にそのまま実践します。
The mystic principle of the true cause, in terms of the text of the Lotus Sutra, refers to the fundamental cause for Shakyamuni’s attainment of Buddhahood in the remote past. In Nichiren Buddhism, however, we are practicing that same fundamental cause, the Mystic Law, now in the real world.
ゆえに、「本因妙の仏法」では、久遠をそのまま末法の「現在」に移すのです。今この瞬間瞬間に、久遠の菩薩道の実践を新たに始めていくのです。
Thus, in this Buddhism of true cause, the remote past becomes the present time of the Latter Day of the Law. In each moment, we begin anew our practice of the eternal bodhisattva way.
大白蓮華2019年1月/Living Buddhism Oct 2019
素晴らしい内容です。
確かに自分の「今」は、良くも悪くも過去に積み上げた集大成の姿ですね。
そしてこれからの自分をつくれるのも、「今」の自分しかいない。
この「今」ということの大切さ。
先生はさらにこのようにおっしゃっています。
現在は過去を映す鏡です。しかし、同時に、現在は未来への起点であり、あらたな未来を創造する動因なのです。
the present is a mirror reflecting the past. At the same time, however, the present is the starting point of the future, the active cause for creating a new future.
引用元:同上
未来を創る因だからこそ、今の自分に最高の縁、「仏縁」をぶつけていく努力をする。
自分が祈った分だけ、
自分が動いた分だけ、
自分の命が前進していく。
今の自分で、不完全の自分のまま、ベストを尽くしていくってことが一番大切なことですね。
随力弘通と仰せの如く、
今の自分、
今日の自分にできることを
精いっぱいやればよいのです。
Nichiren Daishonin teaches us to spread the Mystic Law to the best of our ability. (WND-1, 386). We should simply strive with all our might to do what we can today, as we are now.
自分らしく広宣流布へ勇んで行動する人こそ
真の幸福者なのです。
Those who energetically take action for kosen-rufu, in their own unique ways, are truly happy.
大白蓮華2017年5月/Living Buddhism Feb 2018
どうか素晴らしき人生を!