子どもの胸中には、立派な”大人がいる” |
子どもの胸中には、立派な”大人”がいる。
その”大人”に向かって語りかけていくこと
There is a fine adult inside every child.
We need to direct our voices to that inner adult.
「こんなことはわからないだろう」「これぐらいでいいだろう」という見下した対応は、決してあってはなるまい。
We must never treat children in a dismissive or condescending manner, assuming they won’t understand and thinking it’s okay not to fully explain things.
子どもたちの偉大な可能性を信じ、自他共に生命の大地を開拓していくことだ。
自分の心を大きく広げた分、相手を育むことができる。
We must believe in children’s immense potential, and strive to develop their innate capacities as well as our own. The more we broaden our own minds, the more we can inspire and foster others.
ゆえに育成には、自分の成長が不可欠となる。
That is why our own growth is indispensable to our efforts to help others grow.
引用元:「随筆 我らの勝利の大道」“Our Brilliant Path to Victory”
青年部の時代から、会場提供者のお宅などに子どもさんがいれば、必ず声をかけるようにした。
From the time of my youth, I have always made a point of talking with children, including those of families who opened their homes for meetings.
そして、つねに「若き同志」という思いで接し、真心の励ましを送ってきた。
I would treat them as my young friends in faith and give them whatever encouragement I could.
「随筆・新人間革命」1998年7月22日 “Thoughts on The New Human Revolution”
子どもの胸中には、立派な”大人”がいる。
その”大人”に向かって語りかけていくこと
これってとても大切なことなんじゃないかと思います。
子供だからといってアニメを見て笑っているだけだと思ったら大間違いですね。
子供だからといってアニメを見て笑っているだけだと思ったら大間違いですね。
子どもの中に”大人”がいる。ーーこれは実際にそう思います。
私には、幼少期に書いていた日記帳があるのですが、過去の自分がそれを証明してくれているような気がします。だから、大切に取っておいているのかもしれませんね。
大人になると、自分の子供の頃の感情だったり、考えていたことがそこまで思い出せない。日記帳を大切にしているのは、子供でもこんな感情があったという、その感覚を忘れないようにするためです。
誰にも見せることのない、自分の感情が爆発しているその日記帳には、大人になった自分がみてもゾクゾクするような表現をしていたり、痛みを抱えていたり、こんな小さな子が暮らしている世界から、これだけの複雑な感情をもつんだと自分のことながら思うのです。
もちろん、ああもうちょっと違う捉え方をしてたら、ここまでえげつないほど苦しまなくていいのになとか、甘いなとか(笑)思う部分もありますが、今見ても「なるほど」と教えられるような、恐ろしいほどわかっている部分もあり、確かに大人だから分かる、子供だから分からないというのはないのかもしれません。
池田先生の未来部へのメッセージは、子供だからといって妥協しない真剣さが常にあるのはそういうことですね。(→人間革命について)
大人でも子供でも、誠実に話しかけていく。
どんな人にも常に完成された”大人”が胸中に潜んでいるからです。
素晴らしき人生を!