A Baptist Preacher's Buddhist Teacher |
みなさん、こんにちは。
お元気でお過ごしでらっしゃいますか?
さて、ちょうど一年前に「ローレンス・カーター氏に敬意を表して〔#219〕」という記事を書かせていただいたのですが、
その中で、彼が書いた書籍『A Baptist Preacher's Buddhist Teacher/牧師が語る仏法の師)』が、全米で「2019 イルミネーションブックアワード」の伝記・回顧録部門で「金賞」を受賞したんですよ、ということを簡単にご紹介されて頂いておりました。
モアハウス大学、キング国際チャペルの所長であり、博士、牧師でもあるカーター氏。
こんな第一人者の彼がなぜこの本を書いたのか、なぜここまで反響が大きかったのか、一体何が書かれているのかぜひ読んでみたい!
そんな一心で、英語版をなんとか手にしたのですが、私の英語力では難しく、志半ばで諦めかけておりました。
ちょうど一年前。この本をご紹介した記事の最後に、こんな図々しいお願いをつぶやいています。
カーター氏の大学、神学部の授業でも活用するという、この書籍。
ええ、もちろん私も手にしましょう。
だからお願い。学会本部さん。
頑張って読むから、日本語版も出してください(泣)。
いや~、私のこんなヘタレな願いが届いたのかどうかはわかりませんが、
今年に入って、なんと!『日本語版』が出版されました!
いや~。ありがた~い(泣)。本当にありがた~い。
この本の内容を読むことができる嬉しさをかみしめております。
本当に感謝しております。ありがとうございました。
読んでみた感想
まず、最初から最後まで一気に読めました。いや~日本語最高!読みやすーい。
そしてそうですね。確かに本当に素晴らしい本ですね。
神学部で読んでいるという意味がよくわかりました。学会員ももちろんそうですが、是非クリスチャンの人に一度は読んでみてほしいです。
否定するとか肯定するとか、そういう次元の話ではなく、自分の信仰に誇りを持つとはどういうことなのか、自分はどうしていくのがいいのか、信仰を持つ者の「強さ」と「豊かさ」を共有できる話が多いからです。
「なるほど、そういうことだったんだ」というお互いの持つイメージがまず変わると思います。少なくとも私の持っていた表面的な「クリスチャン」定義が変わりましたね。カーター氏のおかげです。
どこまでも真剣に信仰をしている人というのは、そのままストレートに心に届きます。何が言いたいのかが分かるからです。
純粋さや謙虚さというのもそうですが、現場の最前線にいるからこそ、真剣だからこそどうしていったらいいのか悩んでいたことを率直に打ちあけているのです。
何に苦しみ、何に悩んで、何が足りないと思っていたのかーー普通だったらまず隠そうと思うだろうし、立派な牧師だと周りから慕われ、地位も名誉もあるなら、普通は悩まない部分かもしれません。安定した地位にいてもなお、自分はどうしていけばいいのか苦悩する、カーター氏のそんな悩む姿から、この人は本物の信仰者だということが分かるのです。
そんなカーター氏だからだと思いますが、普段の私だったら「ああそんな捉え方もあるんだね」程度にサラッと読み流してしまいそうなクリスチャンの説明が、すんなり入ってきましたね。今まで出会った本の中で、一番クリスチャンの本義が分かる貴重なものです。
また、カーター氏が紹介してくれている学会も、彼の真摯なフィルターを通すことで、より的を得た表現で書かれていることが多く、学会員としても勉強になるものです。外部の人が紹介している本としても素晴らしいものがありますよ。
心に残る箇所のご紹介は次回!
ーカーター氏に敬意を表して
※『牧師が語る仏法の師』、各書店で手に入りますのでご興味がありましたら是非。