知識は力である。
力は悪にも善にも成り得るが、力そのものは悪ではない。
知識もまた然り。
-ヴェロニカ・ロス-
Knowledge is power.
Power to do evil...or power to do good.
Power itself is not evil. So knowledge itself is not evil.
-Veronica Roth
ーーーーーーーーーーーーーーーー
善に背くのを悪といい、悪に背くもを善という。
ゆえに心の外に善はなく、悪もない。
ー御書 P563ー
The opposite of good we call bad, the opposite of bad we call good.Hence we know that outside of the mind there is no good and there is no bad
ーWND-2, p843
みなさん、こんにちは。
お元気でお過ごしでしょうか。
今回は何気なく本を読んでいる中で、ちょっと心に引っかかったベロニカ・ロスさんの言葉と、大聖人の御書をご紹介してみました。
どうでしたでしょうか。
深いですね。
自分自身がどんな信念を持っているのかというのは、目には見えないものですが、姿、形となって自分の生活に現れ、そして影響してきます。
人は、善悪というのを起きた現象そのものを注目して見てしまいますが、そこだけ切り取ってみても、本質の部分を突くことはできない、その理由がよくわかってきます。
池田先生は、今回引用させていただいた御書の一節に対して、このようにおっしゃっていたことがあります。
お元気でお過ごしでしょうか。
今回は何気なく本を読んでいる中で、ちょっと心に引っかかったベロニカ・ロスさんの言葉と、大聖人の御書をご紹介してみました。
どうでしたでしょうか。
深いですね。
自分自身がどんな信念を持っているのかというのは、目には見えないものですが、姿、形となって自分の生活に現れ、そして影響してきます。
人は、善悪というのを起きた現象そのものを注目して見てしまいますが、そこだけ切り取ってみても、本質の部分を突くことはできない、その理由がよくわかってきます。
池田先生は、今回引用させていただいた御書の一節に対して、このようにおっしゃっていたことがあります。
善も悪も実体ではない。
空であり、関係性によって生ずる。
だからこそ、たえず善に向かう心が大事であり、行動が大事なのです。
Good and bad in themselves have no substance.
In other words, they are not in themselves absolute but reflect relative distinctions.
It is important, therefore, to ceaselessly direct our hearts, and take action, toward good.
引用元:法華経の智慧(3)/The wisdom of lotus sutra vol3,p81
実に明解な答えですね。
善に向かう心と行動の最たるものは、人間革命ということになりますね。
己の人間革命に、そのすべての答えがあります。
”一人の人間における偉大なる人間革命は
やがて一国の宿命転換をも成し遂げ、
さらに全人類の宿命の転換をも可能にする”
A great human revolution
A great human revolution
in just a single individual
will help achieve a change in the destiny
of a nation and further,
will enable a change in the destiny
of all humankind
どうか、素晴らしき人生を!
追伸)UPDATE 07/16/2019
たとえば、母親が幼い娘を祖母に預けて学会活動に出ようとしたら、娘が行かないでと言って泣いたとする。それでやめてしまえば、魔に負けた姿です。
では、娘さんという存在自体が魔のか。そうではない。
自分にとって魔の”働き”になっただけで、娘さん自体は、魔でも、敵でもない。愛すべき対象です。
人間は、魔の働きをすることもあれば、諸天善神の働きをすることもあります。また、一つの現象が魔となるのか、人間革命への飛躍台となるのかは、自分の一念の問題です。(中略)
結局、外の世界のすべての現象は、魔が生ずる契機にすぎず、魔は己心に宿っているんです。
引用元:新人間革命第13巻「光城」242㌻
Let's say, for instance, that a mother leaves her young daughter in the grandmother's care so that she can go to a Soka Gakkai activity. The child, however, begins to cry as she heads for the door, begging her not to go. If the mother gives in and stays, she has been defeated by a devilish function.
Does this then means that the daughter herself is a devil? Certainly not.
She is only serving as a devilish function for her mother. But she is neither a devil nor an enemy, rather, she is simply a child who should be loved.
Just as people can play the part of devilish functions, they can also act as protective forces who come to our aid. Whether a certain person or incident serves as an obstacle to our happiness or a springboard for our human revolution depends entirely on our inner resolve...
Ultimately, our environment is nothing more than a medium for devilish functions, for in actuality these functions reside in our own heart
The New Human Revolution Vol13, "shining citadel" 221-22