弱さを克服するー性弱説 〔#282〕

性弱説という捉え方


自身の心といっても、凡夫の弱き心に従ってしまえば、心の可能性は急速にしぼみます。それどころか、心から悪も生じます。
If we simply follow our easily swayed, unenlightened minds, our potential will quickly wither away. Or, even worse, we may give in to negative and destructive impulses.

ここに一念の微妙な問題がある。
Such is the subtle nature of the workings of the mind.

一生成仏が、衆生自身の心を鍵としている以上、
人間がもつ「心」の弱さを克服していかなければならない。

Because our minds are the key to attaining Buddhahood in this lifetime,
we must overcome our own inner weaknesses.

それが「信心」でもあるのです。
This is what our Buddhist practice is all about.

引用元:『一生成仏抄講義』/Lecture on “On Attaining Buddhahood in This Lifetime”



皆さん、こんにちは。

お元気にお過ごしでしょうか。

また花粉の季節がやってきましたね。私は特に目にきまして、この時期は要注意です。

さて、今回は先生の御書講義よりこんなご指導をご紹介してみましたが、どうでしたでしょうか。

難しいことを言われるよりも、こういった切り口で説明される方が御書講義に意義を持つものなんだということがわかりますね。

なるべく簡単な言葉の方が、よりみんなの心に届きます。研鑽をし続けるというのは、実はそのためなんだということを改めて感じますね。

性弱説の話


また、話は急に変わりまして、私はYouTubeをラジオがわりに聞くことが多いのですが、最近何気なく聞いていたら、非常に興味深い話をされていた方がいらっしゃいましたので、それも少しご紹介したいと思います。

性善説」とか「性悪説」とか皆さん聞いたことがあるかもしれませんが、一般的に「人の本性はもともと善」だとか「人の本性はもともと悪」というようなイメージが一緒についてますね。

しかし、例えば「性悪説」の「悪」の本当の意味は、いわゆる私たちがイメージする「」ということではなく、「弱い」ってことなんだそうです。

つまり、いい人、悪い人というのがいるのではなく、人の命には「弱さ」というのがあり、弱い命で物事を判断するから、その人は結果として「悪い」という行いをしてしまう。「善」「悪」ではなく「弱」、「命の弱さ」に振り回されてしまうことを示しているようです。

YouTubeのその方は、「つまり、『性悪説』というより、『性弱説』ということなんですよ」というような内容のことをおっしゃっていました。

それを聞いて、昔の人が説いた昔に提唱した説が、急に身近に、非常に納得できる説としてよみがえってきた感覚になりましたね。言わんとしていることがすごく腑に落ちたのです。

しかも、最初にご紹介させていただいた先生の御書講義の内容は、はじめから「性善説」の話も「性悪説」の話も網羅されていますね。仏法の眼から命をみていくと、より命の全体像が浮かび上がってくるような気がします。

たとえ自分では何もわからなくても、「信心をつらぬく」という行動自体が、非常に理にかなっていることなんだということ。

智慧第一の舎利弗より、8歳の竜女が仏になれる理由がここにあります。

ちなみに、この「性弱説」の説明をしてくださったのが、キングコングの西野さんのチャンネルです。笑。

西野さん、大変にありがとうございました。

おわりに


この「性弱説」のようなものを、120年以上前に突いている哲学者がいるのはご存知でしょうか。

とういうことで、

このブログにたびたび登場するこの方の言葉で、最後締めくくりたいと思います。

What is evil?
ーWhatever springs from weakness.
                    -Friedrich Nietzsche


「悪」とは何か?
ー「弱さ」から生じるすべてのものだ。
                                      ーニーチェ


素晴らしき人生を!



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