どっちに作用させるのかという話〔#284〕

優しさと気の弱さ
命くんのゆくえ

〝優しさ〟と〝気の弱さ〟は、一つの性分のあらわれ方の違いといえるだろうね。

性分が〝優しさ〟として生かされれば長所となるし、
〝気の弱さ〟となってあらわれれば短所となってしまう。

そして、性分が常に短所となって作用すれば、それが不幸の原因にもなる。


“Gentleness and timidity can be seen as two different expressions of the same underlying nature. When that underlying nature takes the form of gentleness, it’s a strength; when it takes the form of timidity, it can be a weakness. When that underlying nature consistently acts as a weakness, it can become the cause of unhappiness.

小説『新・人間革命』第16巻「入魂」

The New Human Revolution, volume 16, “Heart and Soul” chapter



前回、「性弱説」について取り上げさせていただきましたが、


人とというのは、いい人、悪い人というのがいるのではなく、人の命には「弱さ」というのがあって、弱い命で判断するから結果として「悪い」という行いをしてしまう。

人は「善」「悪」ではなく、むしろ「弱」、命の中にある「弱さ」というのが関係しているんですよ、という話をいたしました。

ここら辺の話というのはいろんなところに繋がってくるもので、

今回引用させていただきましたこの内容に当てはめますと、

命が弱ければ、自分の性分を「気の弱さ」という「ネガティブ」に作用させてしまうし、命が強ければ、自分の性分を「優しさ」という「ポジティブ」に作用させることができる。

「いいものを自分が持っているか持っていないか」というより、「どっちに作用させる力が強いのか」という命の強さ、いわゆる自分の「境涯」で、「働き」というのが変わってくるんだよという話。

そして、「妙法」を根本にした命は、すべてを「絶対的幸福」へと転換していける最強の働きをしてくれる。(→絶対的幸福


だから、人間革命が、命を鍛える活動が、必要になってくるというわけです。


運命は、志のある者を導き、志のなき者を引きずっていく
Fate leads the willing and drags along the unwilling.

ー セネカ/Seneca the Younger

あなたは、運命に導かれたいですか?

それとも、運命に引きずられたいですか?

そんな運命でさえ、その作用を変えられるのは、やはり自分しかいないのです。


素晴らしき人生を!




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