命くんのゆくえ |
〝優しさ〟と〝気の弱さ〟は、一つの性分のあらわれ方の違いといえるだろうね。
性分が〝優しさ〟として生かされれば長所となるし、
〝気の弱さ〟となってあらわれれば短所となってしまう。
そして、性分が常に短所となって作用すれば、それが不幸の原因にもなる。
“Gentleness and timidity can be seen as two different expressions of the same underlying nature. When that underlying nature takes the form of gentleness, it’s a strength; when it takes the form of timidity, it can be a weakness. When that underlying nature consistently acts as a weakness, it can become the cause of unhappiness.
小説『新・人間革命』第16巻「入魂」
The New Human Revolution, volume 16, “Heart and Soul” chapter
前回、「性弱説」について取り上げさせていただきましたが、
人とというのは、いい人、悪い人というのがいるのではなく、人の命には「弱さ」というのがあって、弱い命で判断するから結果として「悪い」という行いをしてしまう。
人は「善」「悪」ではなく、むしろ「弱」、命の中にある「弱さ」というのが関係しているんですよ、という話をいたしました。
ここら辺の話というのはいろんなところに繋がってくるもので、
今回引用させていただきましたこの内容に当てはめますと、
命が弱ければ、自分の性分を「気の弱さ」という「ネガティブ」に作用させてしまうし、命が強ければ、自分の性分を「優しさ」という「ポジティブ」に作用させることができる。
「いいものを自分が持っているか持っていないか」というより、「どっちに作用させる力が強いのか」という命の強さ、いわゆる自分の「境涯」で、「働き」というのが変わってくるんだよという話。
そして、「妙法」を根本にした命は、すべてを「絶対的幸福」へと転換していける最強の働きをしてくれる。(→絶対的幸福)
だから、人間革命が、命を鍛える活動が、必要になってくるというわけです。
運命は、志のある者を導き、志のなき者を引きずっていく
Fate leads the willing and drags along the unwilling.
ー セネカ/Seneca the Younger
あなたは、運命に導かれたいですか?
それとも、運命に引きずられたいですか?
そんな運命でさえ、その作用を変えられるのは、やはり自分しかいないのです。
素晴らしき人生を!