コメント欄の一時停止について(ゴメンね)〔#319〕


みなさん、こんにちは!

英語で創価でございます。

暑い日が続く中、いかがお過ごしでしょうか。

さて、今回はタイトルの通り、コメント欄の一時停止についてのお知らせです。


ありのままのコメント欄を見て頂きたかったの。


特にブログで寄せてくださっていたコメントを結構読んでくださっている方が多く、そのコメントと、私ののほほんとしたやり取りを楽しみにしてくださっている方も多かったようです。

ご批判を頂くこともありましたが、どんなコメントもそのまま皆さんにもお見せしていました。

それに対しての返答も、なるべく誠実に、共通する部分を探してその方に届けるように、その返答もすべてそのまま見て頂きたかったからです。

ですから、ブログ・ユーチューブ内で頂いたコメントは、すべて閲覧できるようにしていました。

とにかく「〇ね」が多すぎんだよね。


ご批判頂くのは百も承知でやっていますので、さほど気にはならないのですが、

YoutubeをUPするようになりましたら、とにかく「〇ね」コメントが多く(笑)、これには困りました。

困ったというのは、言われることは痛くもかゆくもないのですが(こんな豆粒みたいなyoutubeチャンネルにわざわざ来て、わざわざコメント頂いておりますので)

それよりも、楽しみに見てくださっている方が、それも一緒に目にしてしまうことで悲しい思いをさせてしまうのではと思い、そこにとても心が痛くなったのです。

実際、ご心配になった方からのご連絡も頂戴しており、ちょっと考えるようになりました。

正しさって何だ?


また、創価学会についていろいろ言いたい方々からのコメントが、日本人からだけではなく、海外の方からも届くようになりまして、それにも悩むようになりました。

悩むというのは、届くことに悩んでいるということではなく、もっと違う部分にありまして、

隠してもしょうがないので、正直に言いますと、

そのコメントに対して、私からの返答、反論は、やろうと思えばいくらでもできるのです。

でも、正しさで言うのであれば、

自分の中から出すことができれば、それが正しさなんです。

自分が出せればいいわけです。

いざとなった時に乗り越えることができればいいのです。

自分が幸せだと思える人生を生ききり、他の人にもこの出す方途を、人生を乗り越える方途を知ってもらいたい。

ここが一番大切で、これがすべてであると。

いろいろ言いたいというコメントに返答することは可能ですが、それは場外乱闘の域を超えないもののような気がして、そんなコメントの反論をし続けている姿をお見せすることはどうなんだろうということ。

また、逆にコメントを操作して、自分にとって反応のいいものを残して、他をブロックすることもどうなんだろうということ。

本当は、ずっとオープンにしていたかったのですが、逆にご心配をおかけすることになってしまいました。

とういうことで


何だか大物ユーチューバーみたいなことを言って、こんな弱小のブログ+豆粒youtuberが何言ってんだと言われそうですが、いろいろ考えまして、コメント欄はちょっと停止する事にしました。

こんなにポップに動画出しているのにコメントが「〇ね」であふれるという、それはそれである意味シュールで、自分で見てて笑っちゃうのですが、とにかく、ご心配をおかけしてすみませんでした。

今後とも、ちゃんとしたものから、しょーもないものまでポップに動画はあげていきますので、今後ともよろしくお願いします。

長々とすみません・・。


それでは、みなさん
素晴らしき人生を!

英語で創価でした。

またね!





スポンサーリンク