だれもが普通の人間 〔#213〕

創価学会の仏法。「法」と「人」を結び付ける鍵


仏教は人間主義です。
Buddhism is a humanistic teaching. 

宗教というと、教会や寺院、また布施や供養を思い浮かべる人が多い。
For many people, religion calls to mind churches, temples and donations. 

しかし、仏教の開祖である釈尊は、最後まで、権威、形式を離れ、飾らない一人の人間として輝き続けました。
But Shakyamuni, the founder of Buddhism, eschewed formality and the trappings of power. He exemplified an ordinary human being to the end of his days.

私どもの信奉する日蓮大聖人も、そうです。人間としての行動がすべてでした。
Nichiren, whose teachings the SGI upholds, was the same. For Nichiren, one’s behavior as a human being was all important. 

その意味で言えば、仏教は既成の宗教の枠を超えた教えです。
In that sense, Buddhism is a teaching that doesn’t fit in the same category as other religions. 

釈尊も普通の人間でした。
Shakyamuni was an ordinary human being. 

日蓮大聖人も普通の人間です。
So was Nichiren. 

信徒と差異はありません。男女の差別もありません。全部、平等です。
They were no different from their followers. They didn’t discriminate against women. Everyone was equal in their eyes. 

仏法は、どこまでも人間のための教えなのです。
Buddhism is a teaching for people.

引用元:『幸福と平和を創る智慧』/“The Wisdom for Creating Happiness and Peace” 28-5
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みなさん、こんにちは。

今回の内容、どうでしたか?

さくっとしていますが、とても大事な点を述べられていますね。

「仏法はどこまでも”人間主義”なんですよ」という部分は理解できても、

同じように、「釈尊」も、そして「大聖人」も、「普通の人間だったんだよ」というところを理解できる人は意外に少ないように思います。

後世の人たちが、その偉大さを表そうとすればするほど、人を崇めようとすればするほど、「仏」という概念は違った方向に向かい、

本来の教えに対しての平等さや、法の普遍性が、かえって限定的なものになってしまうからです。

あの人は立派だとか、人の特異性ばかり説いても、誰の命にもある法の普遍性が人には伝わらず、

逆に法の普遍性ばかり説いても、人からは離れてしまって、それをどうすることで自分の命で動かせるのか、その展開方法がわからない。

普遍的な法。そしてそれを実際に自分の命で展開していった師に学び、その学んだことを自分でも実践する。

この無限ループの輪が、「法」と「人」を常に結び付けておく”鍵”となるのかもしれない。

自分と別物だと切り離しちゃいけないということですね。だって、仏法は命そのものの話をしているからです。

だからこそ自分の日々の生活の中に修行があり、日常の中で法を展開していく。


まさしく、法は自分の「人間革命」をしていく命にある。

このように捉えることこそが、すべての鍵となるわけですね。


素晴らしき人生を!




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