大聖人の門下っていうと、
「四条金吾」や「南条時光」の印象がどうしても強いと思うのですが、
今回御書を読んだ中で、印象深かったのは、
「阿仏房」と「千日尼」でした。
佐渡流罪中の大聖人に帰依し、佐渡での大聖人を陰から支えます。
詳しくは学会の公式ホームページにありますので、参考にしていただくとして、
佐渡流罪は2年5カ月だったようですから、
実際にはその2年弱しか接していないわけです。
佐渡から身延へ
流罪が放免になったのが1274年で、大聖人は佐渡を離れて結局身延に入ることになります。
一方、阿仏房が亡くなったのは1279年で、91歳だったそうです。
・・・今、さらっと言いましたが、
これはものすごいことなんです。
なぜなら、この阿仏房は亡くなる前年まで御供養を持って身延に行っていますので、
単純に計算しても、佐渡から身延まで行き来していたのは80代後半から90歳。
鎌倉時代に90歳代まで生きられるじーちゃんがいたんですね。。。
「求める心」って婦人部のおばちゃんが大好きな言葉ですが(笑)、
その年齢になったときの自分は、果たしてこんなのできるだろうかつい考えてしまいます。
それは2つの事。
1つ目は「最後まで傍に馳せ参じるという姿勢」。
そんな年齢で、佐渡から身延まで御供養をもって行けるだろうか。
絶対に何があっても離れないというのは、言葉では簡単ですが、
実際に行動にうつすにはあまりにも遠すぎる。
今だって、
90近いじーちゃんが佐渡からフェリーに乗って、
新幹線にのって、毎年のように身延に行くって言われてもびっくりする。
出来るとか、出来ないとかより、絶対に馳せ参じるという気持ちの強いじーちゃんだったんだろうなあと思います。
2つ目は、奥さんの千日尼の「信心の姿勢」です。
御供養を持って馳せ参じていたのは阿仏房ですが、お手紙は千日尼の対して書かれているのが多いですね。
それには理由があります。
千日尼は、大聖人にいつも「信心のこと」について質問をしているのです。
謗法について、女人の成仏について、などなど。
これがすごいなと思うのです。
供養だけではなく、質問を毎回する。
ばーちゃんになっても求道心を持ち続けるって、意外と難しいと思うんです。
人生経験もあるだろうし、分かってる気になっちゃう。
どこまでも謙虚に信心をし続けることは、
なかなか簡単なようで、出来ないものだからです。
千日尼への大聖人のお手紙には、こんな素敵な言葉があります。
「あなたの身は佐渡におられるけれども、心はこの国に来られています。仏に成る道もこのようなものなのです。我等は穢土におりますが、心は霊山に住んでいるのです。お顔を見たからといって何になりましょう。心こそ大切なのです。いつかいつか、釈迦仏のおられる霊山浄土に参りそこでお会いしましょう。(1316)」
大聖人のお手紙、本当にあったかいですね。
求道心があっても、身延まで行くことができない千日尼の気持ちを汲んでいます。
こんなお手紙を受け取り、これを読んだであろう千日尼は、どう感じたのでしょうか。
人の一生の断片しか見ることができませんが、この老夫婦の生き様は本当に見習いたいと思っています。
私は阿仏房じーちゃんのような気合で、杖ついてでも、手押し車を押してでも、どんな会合でも馳せ参じ、
千日尼のような求道心で、若者に混じって一緒に学ぼうとする、そんなポップなばーちゃんになろうと思いました。