「同じ」と「違う」 〔#266〕

同じと違う
おなじとちがう

ある大脳生理学者によると、何かの「違い」を見つけるのは脳の浅いところの働きであり、「同じ」面を見つけるのは、脳の深いところで行われる高度な情報処理なのだという。

つまり、だれに対しても「同じ人間として」付き合える人こそ、「優秀な人」であり、本当の教養がある人です。

自分の人間性が豊かな分だけ、他人の中にも、人間性を発見できる。

人をいじめたり、いばったりする人間は、その分、自分の人間性を壊しているのです。 
『青春対話Ⅰ』P247

According to one scientist, ability to differentiate operates at a very shallow level of the brain, while ability to find commonalities involves highly sophisticated information processing- a much deeper level of the brain.

Those who can get along with all kinds of people, seeking them as equals, as fellow human being, manifest the true excellence of their character. They are people of genuine culture and education.

The richer our hearts, our humanity, the more we can recognize and value other's humanity. Those who bully and belittle others only diminish their own humanity.

Discussion on Youth P132


みなさん、こんにちは!

お元気にされていますか?


いやー、すみません。久しぶりの更新ですね。


もう今年が終わりかけているというのに、ありがたいことなのですが、一つどでかいプロジェクトを抱えておりまして、なかなか時間がとれません。

まあ、楽しみながらやっておりますので、このブログも気長にお付き合いくださいませ。

さて、今回はたびたびこのブログで登場します、私の大好きな『青春対話』から、こんな話をご紹介してみました。


「同じ」と「違う」の見方。


自分の脳で、処理する場所が違うのだそうです。こういうの、面白いですよね。

確かに、どちらかと言うと「違い」ってすぐ見つけやすいかもしれません。

もう直感的に、「ああ、この人と合う」とか、「合わない」とかを感じてしまったりします。

これはたぶん、自分の中の自然な反応だと思うのですが、その感情にまかせて「違い」を見つけてつい愚痴を言ってしまう。

そしてそう言ってしまうことが「習慣」になってしまうと、周りから見てもあまり魅力的な人間には映らないですね。

「違う」ということに集中して目を向ける訓練をした人は(笑)、どうも「違い」に対しての嗅覚が発達するようです。

よく人のことをぐちぐち言ってしまう人は、もう何でもかんでも「違う」ように見えてしまうのでしょう。

愚痴は自分の福運を消すと言われますが、愚痴を言う命に引っ張られると、自分の幸福への軌道も自分で止めてしまうからですね。

日々の行動や言動がその人をつくり上げるわけです。

折角ですから、この逆パターン、「同じ」を見つける習慣をつけるというのはどうでしょうか。

「違い」を見つけるよりも、もうちょっと意識する訓練をし続けないといけませんが、だんだんやっていけば、今度は「同じ」面に対しての嗅覚が鋭くなり、無意識にでも同じ面が見えてくるようになるかもしれません。

自分の人間性が豊かな分だけ、他人の中にも、人間性を発見できる

人間性が豊かというのはそういう事ですね。


自分の教訓。



話はちょっとそれますが、

これを書いていて、とある出来事を思い出しました。

ある時、壮年に連れられて会合に参加してくれたご婦人がいらっしゃいました。

ずっと表情を変えずに座っておられたので、あんまりだったのかな(笑)とは思いましたが、

せっかくですし、この方とはもう二度と出会って仏法の事を話す機会はないかもしれない(笑)と思い、一瞬ためらっていたのですが、ちょっと話しかけてみることにしました。

苦手な感じの人に話しかけるってすごく勇気がいりますが、自分が一番大切にしている集まりにわざわざに参加してくれたということ。

嬉しいな、ありがたいなと思う気持ちは、自分の好きなタイプの人だとか、苦手なタイプの人だとかを越え、何というか「違う」ということがさほど気にならなくなるようです。

急に、こんなちびまる子ちゃんみたいな子から話しかけられて、びっくりされたとは思いますが、

「本日はとてもよかったです。あなたともお話ができてよかった。またぜひ参加させてください」

とおっしゃってくださいました。その後、
本当にいろんな会合に参加しておられますので、やっぱり分からないもんなんです。

私にとってこれは反省すべきところでもありますね。

ことに信心においては、得意とか、不得意な人だということで自分の方で躊躇してはいけないんだというのを学びました。

そして、

「違う」という自分が作り上げる壁のようなものは、広宣流布の為に、自分のベストを尽くしたいと思った分だけ乗り越えることができるんだということですね。

結局のところ、「違い」を乗り越えられるのは、「自分自身のあり方」なのです。

同じ人間として、苦しみがない人なんていない。どうしたらいいのか、どう乗り越えたらいいのか、その方途は私もその人も同じはずなんだと。

一見、自分以外はみんなお金を持っていて幸せそうに見えても(笑)、そんなのわからない。

人は表面的に見えているものだけでは本当の姿は分からない

私も、一番苦しい時期に、人から「楽しそうだね」と言われたことがあります。

人は、笑顔をみせて笑っていても、本当の姿というのは分からないということです。


自分も他人も、同じように悩み苦しみ、それぞれの人生を懸命に生きている。

みんな「同じ」なのだということを。





どうか素晴らしき人生を!





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