門下のご供養 |
みなさん、こんにちは。
ここしばらく御書関連の話がずっと続いておりますが、御書を読んだはいいけど、
早いピッチで書いていかないと私の小さな脳みそからこぼれ落ちてしまうという諸事情ゆえ、もうしばらくお付き合いくださいませ。
(追伸:この記事を書いてから、ほかにもっと書きたいことがあったように思うのですが、ちょっと忘れてしまいました。(笑)。。何だったっけな~)
さて、今回のテーマは「門下の御供養」についてです。
まあ、「門下の御供養」をメインにして掘り下げるようなことをするのは、おそらく私ぐらいでしょうから(笑)、「またしょーもないことを・・」とはおっしゃらずに、こんな見方もあるんだ程度に気楽にご覧ください。
(※ちょっと長くなりますので、パート1、パート2にわけています。)
門下のご供養 パート(1)
はい。
さて、今回のテーマ「御供養」なのですが、御書の中にある「門下へのお手紙」というのは、「御供養に対してのご返事」がとても多いですね。
お気づきになっている方も多いかとは思いますが、
大聖人の「感謝の表現」には、一つの特徴があります。
ほとんどのお手紙に、
「何をどのくらい頂いたのか」がきちんと記載されているのです。
「具体的に記載する」という感謝のあらわし方から、
一人一人に丁寧に応対する大聖人の人柄というか、真摯な姿勢がそこでみえてきますね。
お手紙を受け取った門下も、この人柄に惹かれたのかもしれません。
ご供養の品とは
話はまったく変わりますが、
御供養の品物って見てるとちょっと面白いんです。
例えばご供養された食べ物から
「あ、大聖人ってお酒飲むんだ・・」とか、
「やっぱり海産物はうれしいんだな」とか、
大聖人の食生活や嗜好がちょっと分かります。
食べ物って興味をそそられますよね。
干し柿とか書かれていると、干し柿が大好きな私は勝手にテンションが上がりますし、何なのか全くわからない食べ物にも興味がありますし、何が登場してきてもちょっと面白いなと思ってしまうのです。(食いしん坊万歳!)
門下の御供養スタイル
また、
門下の御供養スタイルも、ちょっとだけ分かってきます。
「富木常忍」は主に金銭的な面でバックアップしています。何月分というような、定期的に届けるスタイルですね。
「南条時光」は食料を中心に、一番こまめに御供養を運んでいます。とにかくひたすら「芋」を届け続けます。また、毎年「塩」を御供養しています。南条時光の御供養のキーワードは「芋」と「塩」です。
「四条金吾」は状況をよく把握しているからか、その時に必要だと思われるものをマルチに届けているように感じます。一番御供養の品にばらつきがあります。
また、御供養していることがバレないように送り物を届ける門下なんかもいます。結構なものを届けていますので、財力のある、バレたらまずいような立ち位置にいる人だったのかもしれません。
このように各人思い思いの御供養で大聖人をサポートするわけですね。
大聖人の暮らしぶりとは
また、こんな角度からも、大聖人の暮らしぶりが少し透けて見えてきます。
世間からも流罪にあった僧侶ということで、お金があっても大聖人には売ってくれないという手紙が残っています。
こういうような仕打ちの方が悲しくなりますね。
立派な場所で荘厳な服を着て栄華を極めている僧たちがいる一方で、食料を確保するにも苦労がある大聖人。お弟子さんたちや、在家門下、みんなどんな気持ちで守っていたんだろうと思うと胸が苦しくなるのです。
一方、お金に関していいますと、
御書に残っているものをあげていっただけでも、総額にすると結構な金額の御供養を受けているようです。
これはちょっと意外に思いました。
大聖人だけでしたら、相当豊かに暮らせると思うのですが、御書からは優雅に暮らされてた感じが全くしませんね。お弟子さんたちも相当いたのかもしれません。
門下の数といえば、
例えば弘安2年の5月の節句にタケノコ120本御供養うけているのがお手紙でわかります。
こんなに沢山のタケノコ、どうすんだと思いましたが、そんな数のタケノコがいるぐらい急激に門下が多くなっていたのかもしれません。ご供養も、弘安を境に数が激増しています。
実際、このタケノコご供養から4カ月後に熱原の法難が起きます。
「タケノコの数」と「熱原の法難」、
一見何の脈絡もないように見えますが、このような角度から、実際に起きた出来事を見ていくっていうのもいいかもしれません。
どうですか?
ちょっとだらだら書いてしまってすみません。
「大聖人の御生涯をご供養からみていく」。
これはこれで、結構新鮮で面白いんです。
パート(1)おわり。
追伸:
実は、パート(2)として今作成中の内容がやりたがために、このテーマを書いておりまして、ちょっとだけ時間がかかります。しばらくお待ちください。
うひゃひゃひゃひゃっ♪