怨嫉(おんしつ)の本質 〔#107〕

怨嫉(おんしつ)とはのイラスト
怨嫉の本質

「怨嫉」って本当は何のことだか分かる人は結構少ない。

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学会員だからって人間じゃん。

そこらへんにいる、一般ピープルなわけ。

私も含めてね。

学会もそういうフツーの人の集まりなんだから、いろんな感情が出ることはもちろんあるわ。

「こんにちは」と同じぐらいよく耳にするのは、

「役職を持っている人」に対する感情。

「リーダーなのに」っていう愚痴はよく聞くわね。

リーダーの何気ない一言が、3万倍ぐらいに膨れ上がって浸透しちゃたりする。

後は、「世代差」に対する感情。

草創期のころ頑張ってたじーちゃん、ばーちゃんが今の「若い世代」に持つ感情や、自分の感情をストレートに出しちゃうおばちゃん。

多種多様な人が集まることで起きるこういった摩擦や愚痴は、「怨嫉/hatred and jealousy 」って言われるんだけど、

創価学会に関して書かれているブログには、この怨嫉の感情をどっちがいい悪いって取り上げていることが本当に多いわね。


怨嫉って、実は自分の「影」の事なんだ。

自分そのものを指しているんだよ。

この人にあんなこと言われた、こんなこと言われた、なんでこの人はこうなんだって、

そう思う真っ当な理由はいくらでも思いついても、

そこにブレてしまう「自分」のこころの「影」だってことに気づく人は少ないの。


相手はあくまでも自分の感情を発動させる「」なだけなんだってこと。


相手が悪いって言っているけど、

その感情は自分のものなんだから、

自分の感情の延長線上にしか存在しないものなんだ。

感情ってのは、自分からは切り離せないからね。


だったら、その感情が湧き上がる大元は、

やっぱり自分なんだから、

どんな怨嫉も、結局は自分の問題なんだよ。


そこにある本当の問題は、相手がどんだけ悪いかではないんだ。

あなたの「因」があなたのその感情を出してきて苦しめるんだよ。



怨嫉しないって、簡単に言うけどさ、

絶対に怨嫉するもんかって意識しないと、

そうやって人はいとも簡単に

こころの影に支配されてしまうんだ。



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