今の命にスイッチオン。 |
宇宙には、善の力も悪の作用もある。
The universe includes both the powers of good and evil.
御本尊には、仏界の代表である釈迦如来、多宝如来から、
On the Gohonzon, all of the Ten Worlds are represented, from Shakyamuni and Many Treasures, who represent the Buddha realm,
地獄界の代表である提婆達多まで、十界の代表がすべてお認(したた)めである。
to Devadatta, who represents the state of hell,
そして、こうした宇宙の「善」の力・作用の代表も、
Both the representatives of good and
「悪」の力・作用の代表も、少しももれなく南無妙法蓮華経の巧妙に照らされて、
evil powers and capacities are illuminated equally by the light og Nam-myoho-renge-kyo.
Both then display the "dignified attributes that they inherently posess"(wnd-Ⅰ, 832).
「本有の尊形」となるゆえに「本尊」というのである。(御書1243㌻)
The dignified attributes of fundamental existence are manifested as the fundamental object of devotion.
すなわち、御本尊に勤行・唱題する時、
When we do gongyo and chant daimoku before the Gohonzon,
私どもの生命の善悪の力も、すべて「本有の尊形」としての働きを始める。
the good and evil capacities of our lives begin to function as the exalted form of fundamental existence.
「地獄界」の苦しみの生命も、「餓鬼界」のつねにハングリーで悩んでいる生命も、「修羅界」のゆがんだ怒りの生命も、
Lives that are full of the pain of hell, lives that in the state of hunger, lives warped by the state of anger-
すべて自分自身の幸福と価値を創る方向に働いていく。
such lives, too, begin to move in the direction of creating their own personal happiness and value.
不幸へと引きずる生命が、妙法を根本にすると、反対の善の方向へ力を向けていくのである。
Lives being pulled toward misfortunate and unhappiness are redirected and pulled in the opposite direction, toward good, when they make the Mystic Law their base.
それは苦しみという薪を燃料として、
It is as if sufferings are made the fuel
歓喜と知恵と慈悲の炎が燃え上がっていくようなものである。
for a fire of joy, wisdom and compassion.
その火をつけるのが妙法であり、信心である。
It is the Mystic Law and faith that ignited that flame.
引用元:日本語/親愛なるアメリカの友へ P69 英語訳/My Dear Friends in America P47
みなさん、こんにちは。
今回は、先生のこんな素敵なメッセージをご紹介してみました。
どうでしたでしょうか。
よく見聞きすることに、自分の身に起きたことっていうのは、後から振り返るとすべて自分にとって意味のあることだったんだというのがあります。
ことさら信心が自分の中心にある場合、「仏法に無駄はない」と言われるように、自分のやってきたことが無駄なく活かされていっていることがわかる時がよくあります。
妙法を根本にすると、過去のすべてが自分を前進させる、活かす材料としての価値を帯びるという意味でもありますね。
視点を変えると、
自分にとっての辛かったことや苦しみを、意味のあるものに変えられるほど、この瞬間の命、意識というのが大切なことがわかるんだ。
毒も薬にかえられるほど、大切な「今、この瞬間」の自分の命。
それだけに、今の自分の命がどこにあるのか、どこに向かっているのかが一難大切だと言われるわけです。
そうでなければ、毒は毒のまま、冬は冬のまま、そんな苦しみは自分の宿命となって自分の命にそのまま停滞してしまう。
たとえば、こんなイメージをしてみるとどうだろう。
例えば、「導線」があっても、「電池」が無ければ「電子」はそこら辺でふらふら漂っているだけです。
電子が流れとして動き出すには、そこの導線に、今この瞬間の命に、電池がなければならない。
今の命に妙法という電池をつける感覚。
妙法スイッチをONにすれば、ふらついていた電子はすべて一定の方向の電流となり、善という流れに向かって一斉に動き出します。
「今」の命に妙法をたもつというは、それだけのパワーを秘めるということです。
常に幸福へのリズムが命にある状態、どんなことがあろうと幸福へと引きずる(笑)強き流れ、そんな命の状態を、昔の人は「成仏」と言ったのかもしれません。
少々強引な例えですが、思わずひらめいちゃったんだからそれはしょうがない。笑。あながち間違っちゃいないはずです。
さあ、みなさん。今日をどう生きましょうか。
どうか素晴らしき人生を!
追伸)
「悪」とは何か?
「弱さ」から生じるすべてのものだ。ニーチェ
What is evil?
Whatever springs from weakness.
Friedrich Nietzsche