みなさん、こんにちは。
お元気でお過ごしでしょうか。
さて今回は、新しくYoutubeにUPしたものをご紹介します。
大聖人の有名な御書の一節ですので、ご存知の方も多いかもしれませんが、
御書っていうのは本当にいつ拝しても、拝すごとにまた新たな気持ちでスタートできるところが素晴らしいですね。御書マジックです。笑。
また、今回のように、自分自身のことにあてはめてみるという捉え方を是非お勧めしたいというのが今回のユーチューブにUPした理由でもあります。
体曲れば 影ななめなり
この御書の文脈でいうと、仏法が本体で、その影として現れる世法との関係を分かりやすく例えてくださっている箇所なのですが、これを自分のこととして、自分の日常にチャレンジするというスタイルが創価の真骨頂でもあります。
ユーチューブ上でいろいろ付け加えたいことは沢山あったのですが、分かりやすさ重視、全てそぎ落とし、シンプルに仕上げました。
特に、初めてこの一節を拝す方にとっては、まず一番大切なポイントで、一番分からないところでもある部分、
「信仰をする」ということは「自分のこととして捉えて自分の日常にチャレンジする」ということ。これがイコールなのだということをまず知ってもらいたいのです。
この仏像に触ったら、このありがたい話を聞けば、ご利益があり、悩みが解決するというという、自分の悩みを他の誰かが解決してくれるという、信仰においては「他力」が絶対的な主流になっている中で、まず自分の悩みに対しては自分が動くというスタートラインを知ってもらう。
これ、何十年この信心をしていても、毎回ここにぶち当たり、このスタートラインを再認識することを繰り返すので、簡単なようで実はすごく難しいのです。
「体曲れば 影ななめなり」。
Back to basics.
悩んだら基本に帰る。私たちの合言葉のようなものです。
それでは!
素晴らしき人生を!
以前の記事はこちらから→
影が曲がっているということは、自分の身体が曲がっているからだと気づく人は少ない。〔#193〕