心に染みる一言 #1 〔#014〕


おすがり信仰






みなさん、こんにちは。

ここでは、読んでいて心に刺さったものを「心に染みる一言」シリーズとしてご紹介させて頂きます。

そう、「言葉」って本当に不思議ですよね。

どんなに心が重くなってても、思いやりのある言葉に触れると、ふわっと軽くなったり、元気になったりします。

「言葉」は人を励ますことも出来るし、悲しませることも出来る。

であるとすれば、

私は、私自身を励まし、そして人を励まし、

元気になる言葉をどんどん発信していきたいと思っています。

今はまだ未熟者で力はありませんが、紹介することはできますので(笑)、そんな言葉を少しずつ英語と一緒に紹介していきますよ。

では!

心に染みる一言シリーズ#1


時間があることが自由なのではありません。
また時間がないからといって不自由なのでもありません。
いかに自分自身を高めていく“意志”をもって生きていくか。
その不断の努力の先にこそ、真の「自由」が輝いていくのではないでしょうか。『地球革命への挑戦 人間と環境を語る』(P248)

Having time to spare is not the same as freedom,
and lacking spare time is not necessarily a restriction.
What matters is to have the will to better oneself.
True freedom, I believe, shines through that unceasing process of self-development.
『The challenge of Global Transformation –Humanity and the Environment』
一念が変われば、自分が変わる。
自分が変われば、環境がかわり、世界が変わる。
この大変革の根源をたずぬれば、
御本尊に向かう自分自身の『祈り』の革命的深化にほかならない。
祈りは、いわゆる「おすがり信仰」とは全く違うのだ。
弱々しく、漠然と、誰かにお願いするものではないのだ。
祈りとは本来、「誓願」である。
「必ずこうする」という誓いであり、明確な目標に挑み立つ宣言である。

『随筆・人間世紀の光』

When our fundamental mind-set changes,
We ourselves change.
And when we change,
The environment and the world change, too.
The source of this great transformation is found nowhere
but in a radical deepening of our own chanting of
Nam-myoho-renge-kyo to the Gohonzon.
This sort of prayer to the Gohonzon is completely different
from that found in a dependent, supplicant faith;
we do not weakly and passively beg someone for salvation or assistance.
Player in Nichiren Buddhism is fundamentally a vow.
It is a pledge or commitment to follow a chosen course of
challenge a clear objective.



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