創価学会という集団の中で鍛えれるもの。〔#235〕

創価学会と父
父と役職。


性に合わない人たちとつきあってこそ、
うまくやっていくために自制しなければならないし、
それを通して、
われわれの心の中にある
いろいろちがった側面が刺激されて、
発展し完成するのであって、
やがて、誰とぶつかっても

びくともしないようになるわけだ。 

Only can the various sides of the character be brought out, till it attains a certain completeness, and the man, feels sure of himself in opposition to any and every man.
引用:ゲーテとの対話(上)/Conversations with Goethe
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私の父は、おしゃべりが止まらない母にすべての言葉を吸収されたかのように、言葉を全く発しない人で、一日の中で、「おぅ。」としか聞いたことがありません。

「お父さん、ご飯できたよ」

「おぅ。」

「お父さん、お風呂湧いたよ」

「おぅ。」

たまに、「おぅ」と言いたくない場合、

「お父さん、今日そうめんでいい?」

「・・・。」

無言を貫きます。

母親がとにかくへらこらしゃべり続けるので、そんな無口の父は、そんな人なんだと気にも留めずにおりました。

これは私の幼少の頃の話。


時が移り変わり、久しぶりに実家の会合に参加した時。

懐かしい、おっちゃん、おばちゃん。未来部の時のお姉さんだった人が子供を連れてきています。

そんな会合、最後に司会者が、

「幹部指導・・・」

恐ろしいことに、父の名前を言うではないですか。

みんなの前でしゃべれんのかと心臓バクバクしながら見守ると、

いきなり冗談を言って笑かして、そのあとちゃんとしゃべっています。

いつの間に読んだのか、聖教新聞に書いてあることを言っています。

みんなが、にこにこしながら聞いています。

父親なりに役職をもらって努力をし、場数を踏んでいく中で、おしゃべりでは無い分簡潔で、そして、味のある愉快なおじさんになっていました。

私が幼少の頃、自分の娘でさえ近くに寄せ付けないほど無言だった父のもとに、

子供が駆け寄って何か話をしています。

犬も寄ってきます。

皆の中で、自然にふるまっている父親が、すごく輝いてみえました。

信心には無駄がない。その人を最高の状態にしてくれる。

あらためて父の姿を通して実感しています。


素晴らしき人生を!




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