広布の流れに身をまかせ。〔#239〕

創価学会の広宣流布
流れに入ったもの勝ち



広宣流布に生き抜けば、必ず、最高に「よい人生の流れ」に入っていける。

「幸福の川」「宝の川」の流れに入っていく。

凡夫の目には見えないが、宇宙には「道」があり、「生命の流れ」があるのです。

その中でも妙法の黄金の流れに入っていけるのです。

「広宣流布」という最高の「流れ」に入っていくことです。

自分も一家も一族も、皆、厳然と幸福の流れに入っていけるのです。

Though invisible to the eye, there are paths in the universe and currents in life. if we dedicate our lives to kosen-rufu, we will absolutely enter the current of a supreme life. We will enter the path of the river of true happiness, the river of treasures. Tose who extert themselves for kosen-rufu enter the golden current of the Mystic Law. By working wholeheartedly on the supreme path of kosen-rufu, we oueselves, along with our family and relatives, will all become happy without fail. ~Daisaku ikeda~
引用元:法華経の智慧(6)/The wisdom of the lotus sutra vol Ⅵ(53p)

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みなさん、こんにちは。今回はこんなのを紹介してみました。

宇宙には「道」があり、「生命の流れ」がある~

なんて美しい表現なんでしょうか。


広宣流布も「到達点」ではなく、「流れそのものだ」とも表現されます。

自分の「命」もそうであるように、自分の一念に広布があるのなら、「点」のような命が「最高の軌道」に沿うように、永遠に流れていくことがイメージしやすくなりますね。


自分の命は「点」でもあり、同時にどの流れに引っ張られていくのかという「生命の流れ」もあるんですよということです。

先生の、こんな素晴らしい
メッセージもあります。

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妙法の流布に生きる人生の“今”は、常に“永遠″と一体の“今”です。

私どもの生活の中で、“永遠″と″今″が出あい、交流し、交響している。

人生が「永遠の今」というべき常楽の連続となるのです。

ゆえに、信仰者にとって、一瞬は一瞬ではない。

一日は一日ではない。

そこに永遠性の価値を含んでいる。

When we devote our lives to the propagation of the Mystic Law, the present moment for us is always one with eternity. Eternity and the present moment meet, interact and reverberate in harmonious unity in our daily lives. Our lives are a continuous stream of joy - a manifestation of eternity in the present moment. Therefore, to a person of faith, a single moment is not just a single moment, a day is not just a day. Each moment, each day, has an eternity of value packed into it.


引用元:法華経の智慧(1)/The wisdom of the lotus sutra vol Ⅰ(107p)




たった5分でも、その時間を何のために使うのかによって、その「一点」から永遠に伸びている線に繋がっていくようです。点」が永遠の価値を含んでいきます。

自分の「今」が、最高の軌道にのる「因」となりえる。


まさしく価値創造の生き方ですね。

最後に、こちらを紹介してみましょう。

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悟りとは単なる認識ではない。

ここが大事です。

永遠の生命は認識するものでなく、それを生きるものです。




Enlightenment is not simply a matter of recognition or awareness of eternal life. This is very important. The eternity of life is not something to be recognized intellectually; it is something that we have to experience with our own lives.  

~Daisaku ikeda~

引用元:法華経の智慧(3)/The wisdom of the lotus sutra vol Ⅲ(‘258p)



永遠の生命は認識するものでなく、それを生きるもの

これもなんて表現が美しいのでしょうか。

「釈尊」は悟りを開いた後、最後の最後までその法を説いていきます。

ここがポイント。

悟りを開いた「完成形」が「仏」ということではないんですよというところ。

悟るとは、「法を説き続ける」ということ。

仏とは、それを生きるものだということ。


教学試験などで勉強はしますが、なかなかピンと来ない「久遠元初の仏」

釈尊が「仏になった」というのがイメージできても、もともと仏なんですよという部分はどうしても難しいですよね。

こんな「点」と「線」を紐解いていくとイメージしやすいのかもしれませんね。



素晴らしき人生を!




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