タンポポの種がふわり。〔#241〕

本当の姿はわからないんだ



仏法を、信心を、本当に自分の生き方の根底にし、そのことに誇りと確信をもっていれば、自然に仏法対話になっていくものだ。
そうならないのは、自分の心のなかに、仏法に対して、垣根を設けているということだろうね。
仏法を語るたびに、こちらが身構え、緊張して、険しい顔をしていたら、相手も心を開くことはできなくなってしまうじゃないか。
私たちにとって、仏法対話とは、人間性の自然な発露なんだよ。

引用:『新・人間革命/遠路26』


If we make Buddhism and faith the bases of our lives and have pride and confidence in that, our discussions will just naturally become dialogues on Buddhism. If we find ourselves unable to do so, it is because we have somehow built a fence around Buddhism in our minds. It hasn't permeated every aspect of our lives and thought.

"if every time you talk about Buddhism you become defensive, tense up, and look severe, people won't be receptive to what you say. For us, Buddhist dialogue is the most natural, effortless expression of our humanity.
The New Human Revolution vol.6 long journey P100

みなさん、こんにちは。



お元気にお過ごしでしょうか。
なかなかの小忙しさで(笑)ブログを書く時間が取れず。。

しばらく更新がゆっくりになるかと思いますが、気長にお付き合いいただければと思います。

さて、今回は簡単にですが「新・人間革命」より、こんな温かいメッセージをご紹介してみました。

小説「人間革命」シリーズのいいところは、その場に一緒にいるような気持になることですね。

先生と一緒に広布の旅をしたり、座談会に出席していたり、その人の怒りや悲しみを一緒に感じ、乗り越えたことを一緒に喜ぶ。そして、人間革命とはどういうことなのかを学んでいく。

時としてこのメッセージのように、私が直接先生から個人指導を受けているように感じることもあります。

前に進むために必要な答えがそこにあるのです。


だれも完璧な人なんていない。

表面的に、他人に見せている姿では分からない。

学会の同じメンバーだって、会合でいっぱい人が集まって、笑顔をみせて笑っていても、夜、仏壇の前で涙を流しているかもしれない。

本当の姿はわからないんだ。


だから、一人一人が幸せになってほしい。

抜苦与楽の力を自分から出せるんだってことを知ってもらいたい。

先生のメッセージがタンポポの種のように飛んできて自分の中で芽吹たように、次の命にもちゃんと届くように、勇気を出すことはできるはずなんだ。


どうか素晴らしき人生を!




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