理論だけ知っていても届かない。知識では超えられないものを持つ強さ 〔#242〕

知識では越えられない
あとは取り出すだけ。

修利槃特(すりはんどく)は三年かかっても、十四文字すら暗唱できなかったけれども、仏になった。提婆達多は、六万蔵(という膨大な経典)を暗記したけれども、無間地獄に堕ちた。このことは、ひとえに末法の今の世のことを表しているのである。決して他人のことと思ってはなりません(P1472)

Chūdapanthaka was unable to memorize a teaching of fourteen characters even in the space of three years, and yet he attained Buddhahood. Devadatta, on the other hand, had committed to memory sixty thousand teachings but fell into the hell of incessant suffering. These examples exactly represent the situation in the world in this present latter age. Never suppose that they pertain only to other people and not to yourselves.



このブログで何度も取り上げている御書の一節ですね。

うっかりすると、すぐ忘れちゃうからまた登場させています。笑。


本当にこの通り。これって、とても大事ですね。

膨大な知識を誇る者と14文字すら暗唱できない者。

結局どちらが仏になったのか。。



・・そういうことです。

・・ん?どういうこと?笑。



つまり、

一番大切なことが分かるのに、何が必要かってことですね。

深いところです。

話はちょっと変わりますが、



最近、ゆりあんレトリィバァさんがアメリカのテレビ番組に出て反響をよんでいましたね。笑。

いろんな意見がおありだと思いますが、私は感動しました。笑。


彼女は英語という武器でいうのなら、そこで戦うにはかなりハンデのある状態で登場しています。

ゆりあんさんのインタビュー記事をちょっと読みましたが、7時間前にスタジオ入りして、出場者と審査員の質問の掛け合いをずっと裏でみて、シミレーションをし続けていたそうです。

だからと言って、通訳をつけないで挑むには、だいぶハンデがあることには変わりありません。

そんなのご本人も重々承知の上だったと思います。でも、なぜそんな状態で堂々と胸をはって登場できたのでしょうか。


また、話は変わります。

最近、英語がネイティブなみに話せる大好きなユーチューバーがいるのですが、

「なぜ英語がそこまでできるようになったのか」というみんなの質問に対して、ご自身の体験を話されていたことがあります。 

若干長い話になりますが、大切な点を話しているので是非ご紹介させてください。

アメリカの学校を卒業し、現地で訪問セールスの仕事に就いて、一軒一軒家を訪ねていって話すということを1年やったそうなのです。

行く先々で「お前の言っている英語は分からない」「国に帰れ」「そんな英語しか話せないからこんな仕事しか取れないんだろ」

毎日毎日こんな言葉を浴びせられ続け、自分の出来なさにも悔しくて悔しくて、落ち込む日々。

あるとき、こんな事に気が付いたそうなのです。

自分の英語が悪いから彼らに伝わらない・・・のではないということを。

自分が相手に示しているいる態度。目を合わせることさえできない。

そんな「私そのもの」が、相手を不安にさせているということに気がつく。

何故それに気がつくことができたのか。

自身と同じように他の国から来た、自分と同じ程度の英語力しかない同僚が、結果をすごく出せてたということ。

自分とその同僚の違いは一体何だろうかと真剣に考えて考えて考え抜いた時、その同僚の明らかに違う点に気が付きます。

ーすごく「自信」を持っているということー

英語がまともに喋れないと、どんなに批判を浴びせられても、「オッケー、オッケー」とさっと次に切り替える。

どんな言葉も、自分を傷つけることなど出来ないことが分かっていた。

「英語が喋れないじゃないか、国に帰ってしまえ」と言われても、その人は傷つかない。

それはなぜか。

耳を傾けない人がいたとしても、聞いてくれる人が必ずいることを知っているからだと。

そして、そんな湧き出る自信から、みんな「ああ、この人の話は信頼できるな」と思って話を聞いてくれることに繋がっていくのだと。

このことから、ご自身について、こう推察するようになります。

本当は私が英語が出来ないから、耳をかしてくれなかったわけではなく、私の自信のなさから人は私を疑い、私と話すことを諦めてしまう。

そうだ、自信を持たなくては。しゃべれなくてもいいじゃないか。伝わらなかったら、毎回一生懸命伝えようとすればいいじゃないか。

人というのは、アメリカ人でも日本人でもどんな国の人でも一生懸命伝えようとしている人の話は一生懸命聞こうとしてくれる。

いいじゃないか、出来ない自分がいたっていいじゃないか。一生懸命背伸びをするってことじゃない。自信っていうのは英語をうまくすることで自信がつくとか、発音をうまくすることで自信がつくと思っていたけれど、それは違うんだってこと。

本当の自信は自分の中にあって、自分の出来なさを認めることで、自分の良さにも気づいてくる。

このように繕おうとしていた鎧をはずしたことで、自分の英語が格段に上がったということ。

(引用元:https://www.youtube.com/watch?v=BGu_3OjJ-lE)

この話は、いろんなことに通じますね。

―本当の自信は自分の中にあるー

悩みに悩んで、苦しんだ先に確信したもの。

冒頭で話した、「一番大切なことが分かるのに、何が必要か」ってことの答えがそこに隠されているような気がします。

そして、私たちには既にそれはどういうことなのかを知っていますね。

つまり、

私たちの中には「もともと仏の命が内在しているんですよ」という捉え方に繋がっていきます。

もともとある力(仏性)を、どう自分の人生に、自分の日常に出していくのかという捉え方です。現実に対して智慧を沸かせ、自信が溢れてきます。

そのように、「自分の中に仏をみていく」というのが本質だったりするわけです。

一番大切なことが分かるのに、何が必要か。

ゆりあんさんがあれだけ堂々としていたのは、ご自身の芸に誇りをもっており、誰に何を言われてもビクともしない自信がにじみ出ていたからでしょう。世界中が喝さいをおくったのは、彼女の度胸もそうですか、その芯の部分が垣間見れるからだと思います。ユーチューバーさんの話もしかりです。

私たちにとっても、信心を根本に「確信をもっている姿勢」というのは「どんな言葉」も「どんな知識」も超えていきます。

すりはんどくの姿そのものです。

素晴らしき人生を!




スポンサーリンク