あたし、御書を読む。 〔#128〕

創価学会。日蓮仏法って何だ?
御書を読もう

みなさん、こんにちは。

あたし、えんやーこらさー、御書をやっと読み終わらせることができました。

自分で宣言しなければ、途中でやめるところでした(笑)。

ありがとうございました。


でも、いいですねぇ、御書は。


何だか時代をタイムスリップしたかのように、

時には給仕していた小僧の気持ちになり、

時には名もなき門下になり、

時には緊迫した法難が目の前で起こっているかのように、

ご飯も喉を通らなくなった師が、一行に込める感謝の手紙を綴るのを見守るように、

そして、偉大な師の最後を見届けるかのように

大聖人の一生を、そばで見続けたような気持になりました。

・・ね。本当に生きていたんですね。みんな。


生身の人間なのですから、そりゃ大聖人も含めて、その時代に生きていた登場人物たちはもうみんないないのですが、

御書を通して、様々な人の、様々な生き様をたどるのはいろいろ思うことが多かったですね。


あ、それと一つ、

以前、ブログの記事(「浸透していない仏の概念と創価学会」)というところで、

「仏の概念」って何なのかというのを書かさせて頂いておりましたが、

大聖人・・・

思っている以上に何度も何度も何度も、ちゃんと伝えていますね。

あ、ここにも書かれている、あ、こっちはもっとはっきり書いているっていうのを

唸るほど見つけました(笑)。

すごい発見しただろ的に偉そうに書いてしまい、大聖人、すみませんでした。



日蓮仏法って何だろう



まず私たちは、大聖人の書かれたもの、

法門やお手紙もすべてひっくるめて、「御書」として読むことが出来ます。


これは、「全てを御書」とした日興上人によるところはやっぱり大きいですね。

彼のおかげで、さまざまなお手紙を後世の私たちが目にすることが出来ます。


率直に言いますと御書の中には、

「あれ、このお手紙とっておく必要あったの?」って感じるものもたくさんあります。(笑)。

重々しく書かれた法門なら、何だか重要そうなので後世に残しておきたいと思うのはわかりますが、

ありがとうと言いたい、たった2行のお手紙も写本していたり、わざわざ真蹟を残してくれています。


このようなお手紙さえも「御書」としたところが、日興上人の、日蓮仏法の理解の深さと、弟子としての姿勢がみえてきますね。


例えば、南条家へのお手紙をみてみましょう。

南条家、南条時光に対してのお手紙は、弟子の中でもダントツに多いので有名ですが、

そのほとんどが短めの手紙、

「芋、うけとりました。ありがとう。」
「塩、うけとりました。助かります。」

という簡単な内容のものです。


これだけ頻繁に御供養の品を運ぶ南条時光もすごいですが、

毎度毎度それに対してお手紙を送る大聖人も素晴らしい。


「御供養がいつものことなので驚きもせず、珍しいことでもないように思ってしまうのは、凡夫の心のなせるわざである・・・(1512)」

こんなキュートな凡夫ジョーク入りの感謝のお手紙も、すべて御書。


このように、生身の大聖人の姿、生き抜いた全てを残そうと奔走します。

このような手紙そのものに、大聖人が伝えたかった法の真髄が書かれていると見るには、

仏の概念を本当に理解していなければできないことだと思うのです。


ちょっと難しいですが、

「まことのみちは世間の事法にて候(1597)」とあります。大聖人は「真実は、世間の事法がそのまま仏道なんですよ」として、南無妙法蓮華経と信じて唱えている凡夫の仏たちと、大聖人という末法の仏との会話そのものに法があらわれている。


これがたぶん全てなんだろうなあと思うのです。でも、仏の概念をとらえきれていないと、そうはならない。


「芋、もらいました。ありがとう。」という手紙を、ただ在家の供養に対して送っただけだと捉えるなら、なおさら、全く見えてこない。

後々に分かれてしまう門下たちのことを思いながら御書を読んでいくと、思うことは多くなるのです。


日蓮仏法ってなんだろう。パート2




私たちは大聖人の仏法を、「日蓮仏法」って呼んでいますが、

法華経のように、28品でまとめて「これが法門だ」というような形にはなっていないですね。

例えばお手紙などで、相手のそれぞれの環境や状況に応じて、どうやったらその人が己心に法があるということを信じられるか、これが、点在しているようにみえます。

法理が極めてシンプルで、たどり着くところは同じなのですが、多様な命への応用、実践編を残すこの独特なスタイルは、誤解も受けやすい。


後に、ある門下が自分は天台沙門だと述べたということですが、

これといって独自の法門があるとははっきりと感じにくい、天台の法門をベースに末法の時代で弘教しただけの人だと判断してしまったのは、何となく分からなくもないですし、

ひらがな文字のただの手紙のやりとりを「御書」といって人に語ることは、大聖人の恥だとしたということも、たぶん自分たちの師はもっと崇高で、神々しい人だったという部分のみ残そうとしたのかもしれない。生身の人間として、末端への凡夫ジョークなど残してどうするんだと。弟子として継承すべきところは、そこじゃないと。


これは、大聖人に背いたとととらえるよりも、

どちらかというと、ありのままの姿に答えがあることを理解できなかったという方が合っているような気がしますね。


そういう意味では、簡潔なんだけど、わかることは難しい。



そもそも、

一番身近にいて、知識も教養もあり、

難しいことも理解できるであろう僧たちに

集中して伝えた方が教えがまとまるし、やりやすいでしょうに、

相手が僧だろうが、

在家だろが、

地頭だろうが、漁師だろうが、

表面の姿にまったく差をつけず法門を書き、手紙を書き、

結局御書を点在させてしまっている。

こんなところからみても、

従来あるやり方の型にはめて理解しようとしても、見えてこないってことなんだろうなあ。



牧口先生が、これはありがたい話だと、おとなしく聞く話なんかじゃなくて、

実践する法なんだと少人数の座談会スタイルにしたのには、

これにも大変意味があったんだなあと感じます。

正しく拝すには、動かにゃならんのです。


「身で読む拝し方が本質をつかむ」という理由が、少しだけわかったような気がするのです。



・・・・てなことが、御書を拝読した感想です。

気持ちが煩雑なため、まとまりがなくてすみません。

では!



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