みなさん、こんにちは!
さて不軽菩薩の話というのをYoutubeにUPしていますので、今回はそのご紹介です。
クマさん中心で今回はやってみましたよ。
コミカルすぎてすみません。
まず、大前提として、不軽菩薩は立派な菩薩です。
法華経のストーリの中で、ちょっとコミカルに見える部分をご紹介していますが、決して決して、あなどったりしているつもりはありません。
ただ、
この不軽菩薩を今回のyoutube上であげたような見方をすると、より
「立派な不軽菩薩」の意味が明確になる気がするのです。
つまり、
自分の中にある、絶対に仏性があると信じ抜く気持ちをぎゅっと濃縮すると、不軽菩薩の姿そのものになる。
ここを言いたいのです。
そのような自分の中にある強い気持ちを、それぞれぎゅぎゅっと濃縮すると、
そのような自分の中にある強い気持ちを、それぞれぎゅぎゅっと濃縮すると、
実は法華経に登場するさまざまな菩薩の姿となって現れる。
最終的に、自分のMAX強い気持ちをぎゅっと濃縮すると、仏の姿になる。
このように捉えると、
法華経は全て自分の話になるので、大昔に書いた経典から急に、我が身のストーリーになる。
このように法華経を読むと、急に親近感のある話に変わるで、おすすめです。
「我が身の体性を妙法蓮華経とは申しける事なれば経の名にてはあらずして・はや我が身の体にてありけると知りぬれば我が身頓て法華経にて法華経は我が身の体をよび顕し給いける仏の御言にてこそありければ・・・」(御書 p411)
妙法蓮華経とは経典の名前だろうと思っていたら、そうではなかった。自分自身のことだった。妙法蓮華経は、本来の自分(自身の実相)を呼び顕す仏の言葉なのだと。
once we have come to understand that Myoho-renge-kyo is not the name of a sutra but is the entity of our own lives, then we will see that our own lives are in fact the Lotus Sutra, and the Lotus Sutra is none other than the sacred word preached by the Buddha in order to make manifest the entities that are our lives.
引用元:法華経の智慧(1)/The wisdom of the lotus sutra vol Ⅰ
それではみなさん!
素晴らしき人生を!