なぜ創価学会は「師弟」の形をとるのか。〔#234〕

師匠と弟子の関係とは。
「師弟」の形をとる理由。


ブッダとは、目覚めた「人間」のことです。仏も人間であり、衆生も人間です。最初に「法」に目覚めた人間(仏)が「法」を教え、全ての人間(衆生)の境涯を高める。
A Buddha is an awakened human being—a person, just like the rest of us. The person who is first to awaken to the Law (the Buddha) teaches that Law, seeking to elevate the lives of all human beings.

ですから、仏と衆生の関係は、神と人間というような関係ではなく、本来、師弟の関係にあるのです。
 In that respect, the true relationship between the Buddha and ordinary people is not like that between a god and human beings, but a relationship between teacher and student, between mentor and disciple.

引用:大白蓮華 2018年8月号/Living Buddhism 1 May 2019

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みなさん、こんにちは。

これは、さらっと簡潔におっしゃっていますが、とても深いところをついていますね。

なんで学会は師弟、師弟というのか、これで少しわかってくるのではないでしょうか。

生身の人間の命の中で出てくる本源のリズムを出していく戦いをした者が、次の命に伝えていく。

釈尊も日蓮も、先生も、結局何をしていたのかというと、一人一人違う命の中にどうやったら本源のリズムを沸かせられるのか、そこに全責任を負い、次の命が実践しやすいように、心を砕いていたと言えるかもしれません。

結局法華経が教えてくれるものは、仏と同じくしたい、衆生が仏になってほしい、仏だと悟ってほしいという仏の願いが根本に流れていましたね。(→浸透していない仏の概念と創価学会〔#125〕

まさしく仏の「解説書」として、師の歩みそのものを説明してくれています。

だからこそこの「解説書」の続きを、弟子としては実践しなくてはいけません。

弟子と名乗る以上は、この仏の誓願を私の中に、そして次の世代に引き継いでいくことに心を砕くということ。

仏を崇高な別ものとして崇めるのも違うし、師が素晴らしいというだけでは不十分。

この願いは、私そのものの願いとして命に沸きあげていく。

この師弟不二のスタイルで伝えていくというのが、「解説書」に則した一番自然な形ですね。

是非参考になさってみてください。

素晴らしき人生を!




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