中道とは、”道に中(あた)る”こと
“道に中(あた)る”と読む。命中とか、的中の中です。
正しき「人道」に即して離れない — いつも「道に中っている」「正道に適っている」、それが中道です。
It means to find and stay on the right path —to hit the mark or target. Never to stray from the correct path as a human being, to live always on course and in accord with the law of life —that’s what it meant by the Middle Way.
引用元:法華経の智慧(6)/The wisdom of the lotus sutra vol Ⅵ p114
みなさん、こんにちは。
今回は、是非みなさんにご紹介したいと思っていた、池田先生の「中道」の説明です。
中道について、いろいろな方が解説していますが、この先生の説明が一番シンプルで分かりやすいのではと思います。
中道とは
「中道」は英語ではそのまま「Middle Way」と訳されているようです。
釈尊は、快楽に溺れる人生も、荒行や苦行で自分の体を痛めつけることも、人々の幸福には通じていかない、つながっていかないということで、最終的に苦行を捨てていきます。
そんな「中道」という道を選ぶわけですが、それだと確かに、中道とは極端なものに走らず間を取るというような、「偏っていない」という定義になりやすい。
結果的にそういう状態にできることでもあるとは思いますが、そうだとすれば、この「偏っていない中道」って具体的に何だ?と思うわけです。
単純に極端に走らない、人としての常識だったり、その人のバランス感覚やさじ加減の話で終わっていたら、この中道も、人それぞれになってしまう。
いろんな人のいろんな考えが集まったところでは、そのさじ加減の違いで「中道」の生き方は変わってきてしまうこともあるかもしれません。
この多様な世界で、もっと中道の本質を射抜いた、みんなが納得する説明はないのだろうか。
ということで、今回の先生の中道の説明に行きあたりました。
さらっと言っていますが、要はそういうことだと思います。
道に中(あた)る
要は、「道に中(あた)る」ってことなんだそうです。
このたった一つの定義だけで、中道はぐっと深くなる気がしますね。
だらけることでもなく、逆にしんどすぎないというような、活動に自分はどれだけのウェイトを置くかというパーセンテージの話、バランスの話をしているということよりも、自分の行動は芯をくっているのかどうかという話のようです。
いつも道に中(あた)っているかどうかでみていけば、結果的に自ずとバランスをたもった姿になっていく。
なりふり構わず、ろくに寝もせず活動する姿は、一見一途で素晴らしいように見えますが、長い目でみた場合にそれを維持していくことは非常に難しい。やり続けられないやり方というのは、やぱり「道に中(あた)っていない」、芯をくっていないということでしょう。
一生続けていくものであり、一生続けようとするからこそ、ちゃんと寝る。
活動をするために、休む時はちゃんと休む。そしてやる時はやる。こういうことも「道にあたっている」といえるのではないでしょうか。
このような一人一人が「道にあたっている」からこそ、そのチームは連帯し、最高に「あたっている」状態で動いていけるのだと思います。
一人一人が輝き、なおかつ集団でも機能する、個も集団も光る捉え方。
国も言葉も年齢も性別も超えて、共通で持つことができる捉え方。
道にあたっているかどうか、自分の生活でちょっと意識してみていくと、今はどうしてた方がいいのかのベストな答えが出せるかもしれませんよ。
知っておいて損はありません。
素晴らしき人生を!