仏になるのはどっちだい_不軽菩薩の話で本当に言いたかったこととは。 〔#119〕

創価学会の仏法。不軽菩薩イラスト

youtubeで詳しく解説中!


不軽菩薩ってさ、

迫害を加えられても、その人に礼拝をし続けた人じゃん。

確かにそうなんだけどさ、


それだけだと、

そう、じゃあ不軽菩薩って立派だねってところで話が終わってしまうの。


たぶん、法華経に不軽菩薩の話が登場するのは、

もっと意味があると思うんだ。


そもそも、不軽菩薩は何で石をぶつけられたりしたいんだい?

不軽菩薩の言葉を信じなかったから?

でも、なんでみんな信じなかったんだろう。


いろいろ言えるとは思うんだけど、単純に言ってしまうと

おそらくバカにされてたんだと思うんだよ。


菩薩なのに、人が納得するような弁が立つわけでも、難解な法理を言ったり、賢い感じもしない。

ただ、ただ、あなたは仏になれるってことしかその人に言わない。

それしか言わなかったのか、

それしか言えなかったのか、どっちかはわからないけど、

そのフレーズだけを手を合わせて人に言い続けたんだ。


石をぶつけられるにしても、

無防備にぶつけられるがままにしていたイメージがあるけど、

実はそうじゃない。

そんな悲劇のヒロインのようなことはしないんだ。


ぶつけられたり、たたかれたりしそうになったら、

ささっと遠くに逃げて、遠くから仏になれるんだよって言うの。

そう、みんなが思っている以上にフットワークが軽いんだ。

優雅に構えていた菩薩ではないんだってこと。


そして、何言われても同じことしか言わないって、

もう対話にすらなっていない。

だから、石を投げられたんだと思うよ。


そこから見える不軽菩薩は、限りなく我々凡人に近い。

法を説くにはあまりにも不器用なんだ。


何言ってんだ、お前が偉そうに言うなよって。


それでもそんな不軽菩薩から、

こんな声が聞こえてくる気がする。


「あなたの中に必ず仏性があるんですよ。信心すれば必ず幸せになりますよ。」って。


ねっ、


よくよくこのストーリーを聞いていると、

何だかそこらへんにいる学会員のおばちゃん達の顔が浮かんでくるでしょ。


でも、それだけしか言えないと、
ちょっと知った人はすぐそれをバカにする。


教学はもちろん必要なのだけれども、

知識力だけではやっぱり人は救えないの。


そして、結局仏になったのは

不軽菩薩の方なんだっていうことの意味、

やっぱりよくよく考えてみる必要はあるんだな。



追記)-----

 大聖人より

「修利槃特(すりはんどく)は三年かかっても、十四文字すら暗唱できなかったけれども、仏になった。提婆達多は、六万蔵(という膨大な経典)を暗記したけれども、無間地獄に堕ちた。このことは、ひとえに末法の今の世のことを表しているのである。決して他人のことと思ってはなりません(P1472)」

Chūdapanthaka was unable to memorize a teaching of fourteen characters even in the space of three years, and yet he attained Buddhahood. Devadatta, on the other hand, had committed to memory sixty thousand teachings but fell into the hell of incessant suffering. These examples exactly represent the situation in the world in this present latter age. Never suppose that they pertain only to other people and not to yourselves.

では!



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