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願兼於業(がんけんおごう)とは英語でどう言うの?
突然ですが、「願兼於業」って漢字でパッと書ける人いますか?
私は書けません。笑。
ちなみに英語では、“voluntarily assuming the appropriate karma” と表現されるようです。
voluntarily というのは日本語でも「volunteer/ボランティア」と使いますからイメージしやすいかもしれませんね。「自発的に」とか、「自ら進んで」というような意味合いになるようです。
直訳すると「自ら目的に合った相応しい業だと思うこと」というニュアンスになりますかね。
比較的に説明しやすい「願兼於業」ですが、これの一番難しいところは、
自分がしんどい時に「これは『願兼於業』って言ってね、自分が願ったことなんですよ」と言われても、なかなかピンとこないところ。
なんで私はそんなふうに願っちゃったんだろうと。笑。
活動していく中で湧き上がってくる悩みは、確かに意味があるのは分かるけども、
悩みの渦中にいたら、どんな悩みもただの悩みにしか見えないのが「凡夫」といわれる所以ですね。
そういう時は、先生のこんな指導を読むことをお勧めします。
自分なりに「願兼於業」とはどういうことなのか、ちょっと見えてくるかもしれませんよ。
願兼於業とは?
「願兼於業(願(ねがい)、業(ごう)を兼(か)ぬ)」と言って、「あえて願って、苦しみの姿で生まれ、その苦しみと戦い、打ち勝つ姿を見せて、人々に仏法の力を教える」生き方がある。
Buddhism teaches the concept of “voluntarily assuming the appropriate karma.” This is where practitioners of the Mystic Law voluntarily choose to be born into painful situations, so they might demonstrate the power of Buddhism to others through their struggles and subsequent triumph.
菩薩の生き方です。
This is the bodhisattva way of life.
信仰者が、初めからすべてに恵まれていたならば、人々は仏法のすごさを知ることができない。
If those who embrace the Mystic Law were blessed with every form of happiness from the start, no one would ever come to know how powerful and effective Nichiren Buddhism is.
だから、あえて悩みの姿で生まれて、「人間革命」してみせるのです。
劇です。
ドラマみたいなものです。
That’s why we voluntarily choose to be born with problems and suffering so that we can show others what human revolution looks like. It is as if we are performing a part in a play, a great drama.
引用元:青春対話Ⅱ /Discussion on youth
いかなる人の人生も、
自分自身の「物語」を書きつづっているのではないでしょうか。
他の誰のでもない、自分の物語です。
We are all writing the story of our own life.
It is our story, and ours alone.
どんなことから書き始めるか、
どんな波乱万丈の筋書きにするか、
どういう逆転劇を描くか、
一切を自分で決めていくのです。
We decide for ourselves where our narrative will begin, devise our own plot of the ups and downs we will face, what odds we will surmount and all the rest.
大聖人は池上兄弟に、今、兄弟が団結して苦難を乗り越えゆく姿を、「未来までの・ものがたり」(1086p)と言われました。
Praising the Ikegami brothers for overcoming adversity through unity, Nichiren Daishonin writes, “Could there ever be a more wonderful story than your own?” (“Letter to the Brothers,” WND-1, 499).
それは、襲いかかる三障四魔の嵐にほんろうされる苦渋の物語ではありません。
Theirs was not a bitter story of being mercilessly attacked by the three obstacles and four devils.
全く新しい未来の物語です。
Rather, it was a story of creating a new future.
兄弟が心を一つにして苦難を乗り越える物語、 一家和楽を成し遂げる物語、
そして、正義の大勝利の物語です。
It was a story of the Ikegami brothers uniting to triumph over hardship,
a story of achieving family harmony,
and a story of the victory of truth and justice.
この新たな物語を描いていく起点こそが、
大聖人の「太陽の仏法」が切り開いた本因妙の法門であり、
宿命転換の哲理なのです。
The starting point for writing such a new story are the principles of true cause and transforming karma taught in Nichiren Daishonin’s Buddhism of the Sun.
引用元:大白蓮華 2019年1月/Living Buddhism Oct 2019
つらい思いをした人ほど、多くの人を救っていける。偉大な使命があるんです。
これが仏法です。菩薩道の人生です。
Those who have undergone painful trials can help many others. Such individuals have an important mission.
This is the teaching of Nichiren Buddhism and the bodhisattva way of life.
戸田先生は
「時には、〝貧乏菩薩〟や〝病気菩薩〟のように見えるかもしれない。しかし、それは人生の劇を演じているんだよ。正真正銘の地涌の菩薩なんだ」と、よく言われていた。
Mr. Toda remarked:
“Outwardly, we might look like a ‘Bodhisattva Poverty’ or ‘Bodhisattva Sickness,’ but that is merely a role we’re playing in the drama of life. We are in fact bona fide Bodhisattvas of the Earth!”
引用元:聖教新聞『若き君へ――新時代の主役に語る』(2012)/“To My Young Friends—Leaders of a New Age,” Seikyo Shimbun, 2012.
自分の苦しみを「業」ととらえるだけでは、後ろ向きになる。
それを、あえて
「使命のために引き受けた悩みなのだ」
「これを信心で克服することを自分が誓願したのだ」と、とらえるのです。
To simply regard all our sufferings as karma is passive and defeatist.
Instead,
we should view them as sufferings we have voluntarily taken on as part of our mission, which we have vowed to overcome through our Buddhist practice.
願兼於業は、この「一念の転換」を教えている。宿命を使命に変えるのです。
自分の立てた誓願ゆえの悩みであるならば、絶対に乗り越えられないはずがない。
The principle of voluntarily assuming the appropriate karma teaches this fundamental transformation of attitude, or mind-set. We can definitely transform our karma into our mission.
Since all our problems and struggles are expressions of our own vow, there is no way that we will not be able to surmount them.
引用元:法華経の智慧(2)/The wisdom of the lotus sutra vol Ⅱ
どうでしたでしょうか。
いいことがあろうと、苦しいことがあろうと、どんなことが起きても、自分は変わらずこの妙法のリズムにのせていくという命の強さがあれば、すべては自分の味方の働きになるのだということ。
自分の物語を書きづづるとはそういうことですね。
いいことがあろうと、苦しいことがあろうと、どんなことが起きても、自分は変わらずこの妙法のリズムにのせていくという命の強さがあれば、すべては自分の味方の働きになるのだということ。
自分の物語を書きづづるとはそういうことですね。
”僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている”
『君たちはどう生きるか』-吉野源三郎
素晴らしき人生を!