引き付ける人 |
他の人にこの信心の話をすることを折伏っていうんだけどね、
戸田先生がある質問に、こんなふうに言ったんだって。
「大声でせまるのは「強い」ということではなく、「乱暴」というのです。・・こちらはニコニコ笑いながら相手の痛いところを言ってやる。相手が怒ろうとおこるまいと、相手にはかまわず、すました顔をして天井を見てればよいのです・・。」ってね。
戸田先生ってさ、言葉のチョイスがすごくいいよね。
みんなをクスッとさせておきながら、でもポイントはちゃんとついてて、そして何だかあったかい。
そう「折伏」ってさ、
そんなに簡単なことじゃないわけ。
嫌われたくないし、傷つきたくないの。
やるべき理由は1万とあがるけど、やれない理由は5万とあがるわ。
特に私なんて、根っからのチキンなわけよ。
典型的な福子にありがちでしょ。(→福子とは)
そうなの。
折伏って聞くだけで、滝に打たれるよりも心が縮こまってしまうのよ。
・・・・
それでつい最近なんだけど、
折伏がすごいできる人と話す機会があったんだ。
今どき、珍しいでしょ。
どんな人なんだろうってワクワクして会ってみたの。
もうね、
ふっっつーーーーの人だった(失礼)。
びっくりした。
でも、何かとても自然で、そこがとても魅力的なんだなぁ。
とくに、「弁が立つ」とか、「教学がすごい」とか、
ガンガン折伏をする雰囲気は全くないのに、どうしてこの人はこんなに折伏ができるんだろう。
そうしたら、その人はこんなことを言ったの。
「学会員ですって言わざるおえない状況にどうしてもなっちゃうのよ」って。
まじでか。
・・・・・・
例えば、つい最近だと、こんな感じらしい。
コーヒーショップで並んでいる間に本を読んでいたら、何となく隣の人と会話が始まって、「何を読んでいるんですか」と何となく聞かれてしまった。(もちろん、本は学会の書物)。
詳しい内容は割愛するけど、手をあわせている写真を投稿してたら、新しく友達になった人から、「何かやっているんですか」と聞かれた。
こんな冗談のような本当の話。
コーヒーショップで隣に並んでいたっていう人をこの間会館で見かけたから、本当に、本当の話なんだ。
何だかドラマみたいなことが本当にあるんだなあと、すごい面白くなって、爆笑していたんだけど、笑いながら泣きそうになっちゃった。
私は偉そうにこんなブログを書いているけど、本当にチキンで、
出身大学(福子の王道)でさえ、聞かれたらものすごくためらう時があったの。
何か、お代官様に踏み絵をだされたようで、怖かったんだと思うのよ。
それが何よりも一番辛かったの。
創価であることが辛いんじゃなくて、「そうだよ」って笑って言えない自分が本当に辛いの。
一緒に活動しているみんなが爆笑している顔や、
おかんが真剣に題目をあげている背中や、
池田先生の姿、
自分をつくりあげた全てを、「そうだよ」って言えない、こんな辛いことはないの。
嫌われたくない、傷つきたくない。
でも、本当は人一倍、大好きな学会を知ってほしいと思っているんだ。
だから、この話を聞きながら、いろんな感情があふれてきたの。
そしたら、その人が、
何気なくこんなことを言ったんだ。
「毎日、折伏をさせてくださいって祈っているんだ」ってね。
そう、
これでもう、わかったね。
これが全ての答えなんだ。
簡単?
いや、実際に「どうか折伏をさせてくれ」って本気で祈っている人、どのくらいいる?
簡単だと思うなら、みんなでそう祈ってみようよ。
「なにの兵法よりも
法華経の兵法をもちひ給うべし」
Employ the strategy of
the Lutus Sutra before any other
こんなこと、みんな知っているけど、
いざという時にはこの兵法は見えなくなるんだ。
折伏は、辛い事でも、荒行でもなんでもない。
自分のマグネットを強くするってこと以外にないんだ。
折伏ができる、できないの差は、「策」の差じゃなくて「命の吸引力」の差なんだね。
ね、ほらね。
やっぱり自分の問題なんだね。