池上兄弟の兄弟愛ってとても有名ですね。
お父さんの信心反対にあって、
お兄ちゃんが勘当されても、弟と共に一緒に団結して信心を貫き、ついにはお父さんも信心するという家族の麗しい話。
詳しい話は創価学会の公式ホームページにありますので参考にしていただくとして、
そこから見えるイメージは、
信心一徹の強盛なお兄ちゃん宗仲と、
大聖人から信心についてちょっと心配されている弟の宗長。
確かに、弟を諭すものが目に付きやすいのでそのようなイメージが強くなります。
それで合っているのかもしれませんが、
御書に残っている兄弟に送られたお手紙を全て読んでみますと、
ちょっとだけ印象が変わります。
美化されがちなベールをかき分けてよく読むと、その時代を一生懸命生きぬいた生身の人間が顔を出すのです。
それは、どちらかというと、
「マメでフットワークの軽い弟」と、「筆不精な兄貴」(笑)。
弟の方が、実は御供養の品など定期的に届けており、比較的頻繁に大聖人とコンタクトをとっていることがわかります。
ですから、弟と、弟の奥さんの方は大聖人の手紙を通して、様子が結構わかるのです。
しかし、お兄ちゃんはさっぱりわからない(笑)。
あるお手紙で、しかも弟宛てのお手紙に
お父様が亡くなったということ、風のうわさは本当ですか?(1100)
ときかれています。
・・・おい!兄ちゃん!
あんなにお父さんとの中を心配して頂いた大聖人に速攻連絡せんかい!と思うのです。
ま、でも大聖人、怒ってはいないようですので、
風のうわさというのが早すぎたのかもしれない・・・ということにしておきましょう。
しかし、
完全に怒らせてしまっているのはこっちのお手紙の方です。
大聖人の逆鱗に触れられて、おもわず大爆笑してしまいましたが、
それが、両人御中御書(1101)。
もうむちゃくちゃ怒られています。
内容はざっくり説明するとこんな感じです。
池上家の所領にあるのか、池上家と関係のある坊の住職が亡くなります。
亡くなる時に遺言として他の人への譲り状を書いていたのに、一向にその人に譲った形跡がないということ。
譲られる方もどうしたものかと心配するだろうし、拠点となる大事なところなのに、ほったらかしにして火事でも起きたら世間の笑いものになってしまうぞ。
この手紙が着いたら、3日以内に事を済ませてすぐ返事を返すこと。
・・・本文を読むと、もっと怒っている感じが出てて怖いです(笑)。
何か思うことがあってその遺言通りにしないのなら、
せめて大聖人に相談すればいいのに。。。
大聖人に連絡もせず放ったらかしにしているお兄ちゃん(笑)。
いや〜、これは怒られます。
この話が結局どうなったのかは手がかりとなる手紙がないのでわかりませんが、
さすがにお兄ちゃん、3日以内に返事を出したと思われます。
この2か月後。
お兄ちゃんから大聖人あてに御供養の品が届きます。
それに対しての大聖人の御返事。
そもそも久しく連絡がなかったところにこのお手紙がまいりました(1102)
(笑)。
若干ちくっとするフレーズが入っておりますね。
もうちょっと連絡してきなさいというこの2人の関係が、本当の親子のように映ります。
お兄ちゃん、さすがに反省したのでしょうか。
この御返事以降は、ちくっとするフレーズは出てきません。
しかし、これ以後だんだんと身体が弱ってくる大聖人。
大聖人がご病気だと聞いて、すぐさま生わかめなど滋養のつく食べ物を送り届ける俊敏さをみせます。(1105)
普段がちょっと筆不精気味の兄ちゃんだけに、この俊敏さはとても喜ばれていますね。もともと感情をあまり表に出さないのかもしれません。普段出さない感情が御供養とともに運ばれてきます。
弘安4年の12月ですから、大聖人、もう筆がとれないぐらい弱っているはずなのに、感謝と慈愛の手紙を書かれています。
人、周りへの振る舞いはさんざん怒られてた兄ちゃんですが、ことに信心に関しては大聖人も信頼していることがわかります。
若干イメージ像とは違うお茶目なお兄ちゃんですが、弱りゆく師に何を思っていたのでしょうか。
大聖人は結局、
身延から降りて湯治に向かう途中、お兄ちゃんの屋敷でそのまま亡くなります。
池上兄弟をたどる旅。
大聖人のお手紙からは、
最後の最後まで励まし続ける師と、懸命に生き抜いた兄弟の生身の姿が垣間見えます。