「仏界」って結局何なのか。 |
みなさん、こんにちは。
過去にこのブログでも「十界」についてご紹介してはいますが、
十界の中でも、特に「仏界」って説明しててもちょっと難しくありませんか?
何だかしっくりくる表現が見つからないといいますか、どうもやっぱり抽象的になってしまってイメージしにくいといいますか、
「菩薩界」までは流ちょうにベラベラしゃべっていても、
締めの「仏界」になったら、おいおい、さっきまでの勢いはどこに行ったんだって感じで急に小声になる感じで。笑。
仏の境涯って具体的には菩薩の振る舞いとして現れてくるものだと思いますが・・とかなんとか言って終わってしまう。
あともう一声、あともうちょっとピタッとあう表現がないかなあと思うのです。
そんな「仏界」イメージなのですが、
そういう消化不良のものって、無くし物と同じで、見つけようとして探してもなかなか出会わないものですね。笑。
今回はたまたま別件で読んでいたものに「仏界」のとても分かりやすい捉え方が書かれている箇所を見つけました。
こんな淡々と記事を今書いていますが、見つけた時は思わず天を仰ぎました。笑。
急に神が・・・いや、まんだらけが舞い降りてきた感じです。
(注。曼荼羅華(まんだらけ)とは仏が出現するときなどに天から降ってくる華のこと)
何といいますか、私の中ではこれが一番イメージしやすい「仏界」なのではないかと思いました。
・・・はい。
今回はそれをご紹介します。
先生のドンピシャな解説(1)
言葉で表現するのはむずかしい。「仏界」というのは、他の九界のような具体的なものではない。九界を無限の価値の方向へと動かしゆく本源的な生命の働きである。Buddhahood is difficult to describe in words. Unlike the other nine worlds, it has no concrete expression. It is the ultimate function of life that moves the nine worlds in the direction of boundless value.
曇天の日がつづいても、雨の日でも、ジェット機が高度1万メートルに達すれば、煌々と太陽が輝き、安定した飛行ができる。と同じく、現実の生活が、いかに苦衷にあっても、苦難の連続であっても、この胸中の太陽を満々と輝かせていけば、悠々と乗り越えていける。この太陽を、たとえて言うならば、「仏界」といえるかもしれない。
Even on cloudy or rainy days, by the time a plane reaches an altitude of about 33,000 feet, it is flying high above the clouds amid bright sunshine and can proceed smoothly on its course. In the same way, no matter how painful or difficult our daily existence may be, if we make the sun in our hearts shine brightly, we can overcome all adversity with calm composure. That inner sun is the life state of Buddhahood.
ひとつの次元から、「御義口伝」には、「菩薩とは仏果を得(う)る下地なり」(御書738㌻)とおっしゃっておられる。法のため、人のため、社会のために行動することが菩薩である。その菩薩という行動の土台なくしては仏果は得られない。観念では仏果は得られない。万巻(まんがん)の仏教の書を読んでも得ることはできない。
In one sense, as the Daishonin states in The Record of the Orally Transmitted Teachings, “‘Bodhisattva’ is a preliminary step toward the attainment of the effect of Buddhahood” (p. 87). The world of bodhisattva is characterized by taking action for the sake of the Law, people and society. Without such bodhisattva practice as our foundation, we cannot attain Buddhahood. Buddhahood is not something realized simply through conceptual understanding. Even reading countless Buddhist scriptures or books on Buddhism will not lead one to true enlightenment.
仏果を得たといっても、なんら姿が変わるものでもない。六道九界の現実社会のなかで、そのままの姿で生きぬいていくのである。神秘的な悟りとか仏というものは、真の仏法ではまったくない。
In addition, attaining Buddhahood doesn’t mean that we become someone different. We remain who we are, living out our lives in the reality of society, where the nine worlds—especially the six paths—prevail.A genuine Buddhist philosophy does not present enlightenment or Buddhas as something mysterious or otherworldly.
人間として大事なことは、低き境涯から、より高き境涯へ さらに、狭小な境涯から、無限の広がりの境涯へと進み、広がりゆくことである。その最極の一点の境涯が、「仏界」となるわけである。
What is important for us as human beings is to elevate our lives from a lower to a higher state, to expand our lives from a closed, narrow state of life to one that is infinitely vast and encompassing. Buddhahood represents the supreme state of life.
「幸福と平和を創る智慧」第1部(上)/ The Wisdom for Creating Happiness and Peace
戸田先生の解説_付録
本来、無量の生命力は、自身の内部にある。無限の知恵の泉は、わが胸中にある。それを、自在に涌現できるのが「信心」である。
Within the depths of our lives, we each inherently possess boundless life force and a wellspring of infinite wisdom. Faith allows us to freely tap that inner life force and wisdom.
戸田先生は、よく言われていた。「自分の中にあるものが出てくるのだよ。無いものは出てこないぞ」と。
Mr. Toda often used to say: “What’s inside you comes out. What’s not there, won’t.”
強く清浄な仏の境涯も、弱く醜い地獄・餓鬼・畜生等の生命も、全部、わが生命にある。縁に触れて現れてくる。また、生命は三世にわたるゆえに、過去の宿業が、大きな悩みとして現れ出てくる場合もある。しかし、「苦悩」の因が「自分の中に」あるのと同じく、それをそのまま「幸福」へと転換しゆく力も「自分の中に」ある。
The strong and pure state of Buddhahood and the weak and base states of hell, hunger and animality all exist within our lives and are manifested in response to causes and conditions in our environment. Since life is eternal throughout the three existences of past, present and future, our past karma may also assail us in the present in the form of some major problem or suffering. However, just as the cause of suffering lies within our lives, we also possess the power to transform our suffering into happiness.
これが仏界の力である。
This is the power of the life state of Buddhahood.
結局、人間とは、どこまでいっても、戸田先生が言われたように、「自分の中にあるものが出てきた」ものである。それ以上でも、以下でもない。
As Mr. Toda declared, ultimately human beings are the product of what lies inside them, no more, no less.
「幸福と平和を創る智慧」第1部(上)/ The Wisdom for Creating Happiness and Peace
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はい。
どうでしたでしょうか。
今後「仏界」を説明しなくてはいけないシチュエーションの時には、是非このキレッキレの解説も参考にしてみてください。
「仏が体現した尊極の境涯です!」・・・のもっと先を行けますよ。
では!
はい。
どうでしたでしょうか。
今後「仏界」を説明しなくてはいけないシチュエーションの時には、是非このキレッキレの解説も参考にしてみてください。
「仏が体現した尊極の境涯です!」・・・のもっと先を行けますよ。
では!
追伸)花粉症でえらい目がシュバシュバしてしまうのですが、
一度目が潤むと涙が止まらなくなってしまい、微妙なタイミングで滂沱の涙が出てしまいます。
コーヒーショップ屋さんで本を読んでて涙。
春のそよ風に涙。
おっさんのダジャレにも涙。
期間限定の劇場型人間です。