なぜ創価学会は「師弟不二」で実践するのか。 〔#271〕

師弟不二とは

みなさん、こんにちは。



さて今回は、『なぜ創価学会は「師弟不二」で実践をするのか』というテーマでお届けしようかと思います。


まず、私の大好きなニーチェ先生。笑。

ーいつまでもただの弟子でいるのは師に報いる道ではないー

グサッと、こんな突き刺さる言葉を残してくれています。

これは私たちがよくよく考えていかなくてはいけませんね。

そう。

もとを正せば「法華経」だって、

釈尊という偉大な師に報いようとした弟子たちの「意志表明」でもあります。

法華経28品の締めくくりに、普賢菩薩は仏にこのように伝えます。

「世尊 我今以神通力故 守護是経 於如来滅後 閻浮提内 広令流布 使不断絶
「世尊よ、私は今神通力をもってこの経を守護し、如来の滅後において閻浮提の中で、広く流布させて、断絶はさせません」と。

World-Honored One, I now therefore employ my transcendental powers to guard and protect this sutra. And after the thus come one has entered extinction, I will cause it to be widely propagated throughout Jambudvipa and will see that it never comes to an end.


ー広く流布させて、断絶はさせないー

師匠の願いと、弟子の誓願がそこにあります。

法華経の中に書かれているものは、結局「仏(師匠)」とおなじ不屈の意志を持つ者ー「仏(弟子)」の誓いの言葉だということ。

だから、法華経の真髄である「如我等無異(全ての人々をわたしと等しくして異ならないようにしたい)」というのは、師匠と弟子の誓いの言葉であり、「師弟不二の精神」そのものを指すことになります。

崇めるのではなく、同じ誓願に立つ。

仏の命はこの中にあるということですね。


海外の創価学会員の凄いところ



海外の創価学会メンバーは、この部分を真剣に研鑽しているから強いのかもしれません。


なぜ師弟不二なのか。

何のためらいもなく、この部分ーー創価の真髄を、最重要のものとして確認し合い続けているのがみえます。

ということで前置きが長くなりましたが、

今回は、アメリカ創価学会から逆輸入。

彼らが発行しているLiving Buddhismの中で、「師弟不二」について研鑽している箇所がありましたので、私たちもアメリカ創価学会から少し学んでみましょう。

「師弟不二」の概念を一番取り込みにくそうなアメリカで、なぜその概念が浸透しているのか、そこが垣間見れるかもしれませんよ。

では!


LivingBuddhismから


私たちが何か大切なことに成功しようと頑張っている時には、えてしてやっかいな問題や難関にぶつかるものです。そんな時、経験が豊富で、解決方法や知恵に優れている先輩や師匠の教えを受ければ、ずっと良い結果が得られるものです。それは、自分自身の経験や人類の歴史を通しても明らかなことです。

When we try to succeed in a worthwhile endeavor, we are bound to face challenges and difficulties. Learning from an excellent teacher or mentor with an abundance of experience, knowledge and wisdom gives us a much better chance of seeing great results. We can see this at work throughout human history and in our own experiences.


とりわけ、日蓮仏法の実践においては、とても重要なことです。仏法の根本目的は、すべての人間には成仏の可能性、不滅の幸福境涯を築く生命力が存在することを覚知し、それを顕現する能力に目覚めさせることにあります。これは、仏が法華経において立てた誓願に明らかです。「我れは本(も)と誓願を立てて 一切の衆をして 我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき」(方便品第二、妙法蓮華経並開結130㌻)

仏が私たち一切衆生に自身の悟った仏界の生命を等しく体現させようとの誓願を立てたという、とても心温まる言葉です。この誓いこそ、いかなる仏法の教師や師匠にとって最も大切な精神と言えましょう。

This is all the more true in practicing Nichiren Buddhism. The essential aim of Buddhism is to awaken in all people the ability to reveal their enlightened potential, their own inner source of indestructible happiness. This aim is crystallized in the “vow” of the Buddha found in the Lotus Sutra: “I took a vow, hoping to make all persons equal to me, without any distinction between us” ( The Lotus Sutra and Its Opening and Closing Sutras, p. 30)

It is heartening to know that the Buddha made a vow to make us equal to him—to enable us to enjoy the same sublime state of enlightenment he attained. Any genuine teacher or mentor of Buddhism must have this vow.


仏と同じ誓願に立って


しかし、法華経、そして日蓮大聖人の教えにも明らかですが、私たちが単にこうした仏の慈愛の心を受けることだけに満足していては、その仏の誓いが実現されることはありません。

それでは、どうすれば私たちは仏の深い願いが実現できるように努力し、真の幸せを築いていけるのでしょうか。

それは、私たち自身が仏と同じ警願に立ち、自分自身ばかりか他の人々をも仏と同じ境涯になれるように努力していく時に、仏が願っていたような至上の幸福境涯を享受していけるのです。

Both the Lotus Sutra and Nichiren Daishonin make clear, however, that Buddhist practice is not complete if we simply seek personal benefit. 

When we share the same vow as the Buddha and strive to make ourselves as well as others equal to the Buddha, we can enjoy the sublime state of happiness the Buddha envisioned for us.


この精神を根底に、実践行動をしていくこと自体が、「師弟不二」というのです。

Taking action based on this spirit is known as the “oneness of mentor and disciple.”


それは、当然のこと、やさしいことではないでしょう。それには、まず眠っている自身の力を揺り動かさなければなりません。

This, of course, is quite a challenge. It involves activating our strengths—for example, bringing forth courage when cowardice is comfortable, or finding compassion when indifference is the norm.

大聖人は、門下の弟子たちにしたためられた多くのお手紙で、妙法流布の誓いに生きていくとき、必ずや自分自身や周囲の人々の生命に巣くう無知や反発心が障魔となって立ちはだかることを教えられています。

Nichiren wrote many letters to his disciples and demonstrated throughout his life that dedicating oneself to this vow would invariably invite obstacles and opposition, both from the ignorance or negativity in one’s own mind and from those around us.


師弟不ニの実践が肝要



仏法を流布し、人々にその偉大な可能性を覚知させるとの誓いを貫くことは、極めて困難な努力です。それゆえに、私たちは信頼できる指導の源が必要となります。如我等無異の誓いに生き抜く師から学ぶことによって、私たちは前進への希望と勇気と知恵を汲み取っていけるのです。

Fulfilling this vow to spread Buddhism and awaken people to their greatest potential is a difficult endeavor. This is why we need an unwavering source of inspiration. Looking to and learning from a mentor who consistently lives in accord with this vow helps us call forth the hope, courage and wisdom we need to forge ahead. 

更に、私たちが師と同じように、人々の幸せのために、たゆみなき誓いの実践を続けるなかで、自分でも思いもよらなかったような偉大な力と可能性を見いだすに違いありません。

When we resolve to share and cultivate the same unrelenting vow for people’s happiness as our mentor, we awaken in ourselves great power and ability that we didn’t know we had. 

それゆえに、「師弟不二」の精神は、正しく、実りある仏法実践のために不可欠の要素なのです。

This is why the mentor-disciple relationship is essential to a correct and rewarding Buddhist practice.

また、この師弟関係のなかで最も大切な役割を果たすのは弟子です。大聖人は、「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せぼなに事も成(なす)べからず(御書900㌻)と仰せです。

And the disciple plays the most vital role. What solidifies this relationship is the disciple standing up and embracing the same vow as the mentor. This is the heart of Buddhism.

仏法を実践する者が師の激励を求めるときは、その指導を実現することを願って祈り、その祈りを限本に実践し抜いていくことです。

そして、あらゆる苦悩を歓喜に変え、かつ積極的に人生を転換し、前進していくよう絶えず努力してくことが肝要です。

When practitioners seek the mentor’s encouragement, pray to realize it and take action based on that prayer, they will continuously transform all their suffering into joy, positively transforming and propelling their lives and society forward.




引用元:英語_LivingBuddhism July 2016
    日本語_LivingBuddhism July 2016(日本語版)



どうでしたか?

これが、底抜けに明るいアメリカSGIでこんなバッキバキのどストレートな内容を研鑽しているところが、いいですよね。


さあ、今年もやりましょう!


素晴らしき人生を!




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