法華経のストーリーを見ていこう(五百弟子受記品第八ごひゃくでしじゅきほんだいはち/Prophecy of Enlightenment for Five Hundred Disciples)Chapter 8 〔#045〕









みなさん、こんにちは。さて、今回は法華経28品中の第8品目です。

「五百弟子受記品第八/ごひゃくでしじゅきほんだいはち」です。

若干タイトルが長めですね。英語では、

「Prophecy of Enlightenment for Five Hundred Disciples」と訳します。

Prophecy は「何かを予言する」という意味でしたね。

直訳すると「500人の弟子の悟りを予言する」となります。

だんだん増えてきましたね。登場人物が絡み合って複雑になりがちですが、要は舎利弗、そして4人の直弟子以外の弟子達がストーリーの中心になります。 

そして、この五百弟子受記品ででてくる譬え話が一つあります。

衣裏珠(えりじゅ)の譬え」です。

英語で”parable of the jewel in the robe と言います。

では、それも含めましてどんな内容なのか、一緒にみていきましょう。

簡単あらすじ


富楼那への受記

未来において舎利弗、その他4人の弟子たちが仏として活躍すること、
そして前回の化城喩品で、過去からの釈尊との因縁の話を聞いて、富楼那(ふるな)という弟子が大いに喜びます。(※富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし))

釈尊は会衆に対し、そんな富楼那の過去、そして未来の姿を告げます。

こんなストーリーです。

「おまえたち、この富楼那弥多羅尼子がみえますか。法を説く者の中においては第一人者であると評価してきました。まじめに励み、私の教えを守り、広く伝え、四衆に法を示し、教え、喜ばせ、仏の正しい教えを解釈することに徹し、正しく修行しようとする人々に大きく貢献してきました。如来以外には誰も思想や見解を巧みに論じ、それを体現できる人はいません。

 “Do you see this Purna, son of Maitrayani? I have always commended him as being foremost among those who preach the Law. And I have always praised his various blessings, his diligence in protecting, upholding, aiding, and proclaiming my Law, his ability in teaching, benefiting, and delighting the four kinds of believers, the thoroughness with which he expounds the correct teaching of the Buddha, the great degree to which he enriches those who carry out its brahma practices. If one excepts the thus come one, there is no other who can so thoroughly exemplify the eloquence of its theories

富楼那は、七仏の時に教えを説いた者達の中でも、第一人者でありました。今、わたしのもとで教えを説く者達の中でも、また第一人者であります。

Purna was foremost among those who preached the Law in the time of the seven buddhas. He is also foremost among those who preach the Law in my presence now.

そして、未来においては仏となり、法明如来(ほうみょうにょらい)という名前の仏になることをつたえます。また、劫(時代)を宝明(ほうみょう)といい、国を善浄(ぜんじょう)ということを告げます。

He will be called Law Bright Thus Come One, The kalpa will be named Treasure Bright and the land named Good and Pure.

※富楼那の未来の姿、国の様子などの説明がありますが、省略します。


5百人の弟子に受記

このストーリーを聞き、千二百人の阿羅漢たちが歓喜します。
At that time the twelve hundred arhats, being free in mind, thought to themselves, We rejoice at gaining what we have never had before

釈尊は直弟子の摩詞迦葉に、未来においてこの者たちも仏になることを告げます。
The Buddhasaid to Mahakashyapa: “On these twelve hundred arhats who are now before me I will one by one bestow a prophecy that they will attain supreme perfect enlightenment

例えば、この中の阿若憍陳如(あにやきょうじんにょ)は、六万二千億の仏を供養したのちに仏となること。そして、普明如来(ふみょうにょらい)という名前の仏になることを告げます。

Among this assembly is a major disciple of mine, the monk Kaundinya. He will offer alms to sixty-two thousand million buddhas, and after that will become a buddha.He will be designated Universal Brightness Thus Come One

そして、5百人の阿羅漢たち、例えば、優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)、伽耶迦葉(がやかしょう)、那提迦葉(なだいかしょう)、迦留陀夷(かるだい)、優陀夷(うだい)、阿楼駄(あぬるだ)、離婆多(りはた)、劫賓那(こうひんな)、薄拘羅(はくら)、周陀(しゅだ)、莎伽陀(しゃがた)らはみな、最極の完全な智慧を得るでしょう。

Five hundred arhats, including Uruvilva Kashyapa, Gaya Kashyapa, Nadi Kashyapa, Kalodayin, Udayin, Aniruddha, Revata, Kapphina, Bakkula, Chunda, Svagata, and others, will all attain supreme perfect enlightenment.

みなすべて同じ名であって、普明(ふみょう)と呼ばれるでしょう。
 All will have the same designation, being called Universal Brightness.”


これを聞いた5百人の弟子は飛び上がって喜び、一つの譬え話で釈尊に伝えようとします。

その譬え話が「衣裏珠(えりじゅ)の譬え」です。

ではその内容を見ていきましょう。

ある男が親友の家に行き、酒に酔って眠ってしまいます。この時、この親友は役所の仕事で急に出なくてはいけなくなり、価がつけられないほどの高価な宝珠を男の衣服の裏に縫い付け、これを与えて去って行きます。その男は、酔いつぶれて、その事を全く知らなかったのです。彼は起きあがり、旅支度をすませ、他の国にいきます。食べる者や着る物を得るために、真面目に一生懸命働きます。困難な目に合うこもありましたが、少しでも得るところがあれば、それで満足していました。

it was like the case of a man who went to the house of a close friend and, having become drunk on wine, lay down to sleep. At that time the friend had to go out on official business. He took a priceless jewel, sewed it in the lining of the man’s robe, and left it with him when he went out. The man was asleep drunk and knew nothing about it. When he got up, he set out on a journey to other countries. In order to provide himself with food and clothing he had to search with all his energy and diligence, encountering very great hardship and making do with what little he could come by.

後に親友は、偶然彼とめぐりあい、それを見てこのように伝えます。「君はなんて馬鹿なことをしているのだ。なぜ衣食に窮しているんだ。私はあの時、君がもっと五欲を満たす安楽な生活ができるようにと、ある年のある月日に、価がつけられないはどに高価な宝珠を君の服の裏に縫い付けておいたのだよ。今もそのままあるではないか。それなのに、君はそのことを知らないで、ひどく苦労し、悩みながら自分の力で生活をするとは、なんて愚かなのだ。すぐにこの宝珠を売りなさい。そしていつでもしたいことをし、足りないと思うことがもうないようにしなさい。と。

“Later, the close friend happened to meet him by chance. The friend said, ‘How absurd, old fellow! Why should you have to do all this for the sake of food and clothing? In the past I wanted to make certain you would be able to live in ease and satisfy the five desires, and so on such-and-such a day and month and year I took a priceless jewel and sewed it in the lining of your robe. It must still be there now. But you did not know about it, and fretted and wore yourself out trying to provide a living for yourself. What nonsense! Now you must take the jewel and exchange it for goods. Then you can have whatever you wish at all times and never experience poverty or want.’

仏もこの親友と同じなのです。菩薩であった時、私たちを教化して、無上の智慧を起させようとしていたのです。しかし、わたしたちは、それを全て忘れ去り、気が付かず、分からずにいました。阿羅漢を得て、悟ったと思ってしまったのです。まるで生活に困窮してても、少しのものを得ただけで満足しているようにしておりました。と。

The Buddha is like this friend. When he was still a bodhisattva, he taught and converted us, inspiring in us the determination to seek comprehensive wisdom. But in time we forgot all that, became unaware, unknowing. Having attained the way of the arhat, we supposed we had gained extinction. Finding it difficult to provide for our livelihoods, as it were, we made do with what little we could come by. 


最後に阿若憍陳如たちは、釈尊に詩で伝えて終わります。(抜粋)

長い夜を通し、世尊は常に我々を憐れみ、教化し、無上の願いという種をまかれていました。しかし、我らは知恵がなく、気が付きもせず、ほんの少しの涅槃を得ただけで、これで十分だとしてそれ以上を求めておりませんでした。
 
Through the long night the world-honored one constantly in his pity teaches and converts us,
causing us to plant the seeds of an unsurpassed aspiration. But because we are without wisdom,
we are unaware of this, unknowing. Having gained a small portion of nirvana, we are satisfied and seek nothing more.

しかし今、仏は、わたしたちを目覚めさせたのです。それは本当の悟りではないのだと。
But now the Buddha awakens us,saying, ‘This is not really extinction.

仏の無上の智慧を得ること、それこそが真の悟りであると。
When you have gained the unsurpassed wisdom of a buddha, then that will be true extinction!’

おわり。

ざっくりかんたん解説


富楼那(ふるな)というが授記されます。その富楼那(ふるな)への授記を聞き、1200人の阿羅漢が歓喜し、釈尊はそのうち500人に授記します。

一気に増えます。大丈夫でしょうか。。

1200と500という数字が出てきて混乱しやすいですが、授記されたのは500人です。(ですから、タイトルになっているのですが。。)

話の最後に、今回記別を受けた500人の弟子の中に入っています阿若憍陳如たちは、釈尊に詩で何か大切なことを述べています。

仏は彼らに何かの種をまいていたということです。

何の種かと言いますと、「無上の願い」だそうです。

前回の化城喩品で釈尊は弟子にこのように伝えていました。

”I will cause you to enter the buddha way”

釈尊が法華経を説いているのは、「皆を仏道に入らせるために」でしたね。

釈尊の植えた種をやっと弟子達が思い出した瞬間です。


大願に立つ集団の誕生です。

〈法華経28品シリーズ〉
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